こんにちは。微表情研究家の清水建二です。本連載の
第7回で、表情を正確に読む能力が高い売り手ほど、模擬交渉実験において商品を高く売ることが出来る、という研究結果とともに、表情分析・観察のスキルを用いて交渉を首尾よく行う方法を紹介しました。
紹介した研究結果は、実験のために用意された模擬交渉をもとにしたものですが、現実のビジネス交渉にも十分通じると考えられます。ビジネス交渉において商品について多くの情報を持っているのは、通常、売り手です。売り手は、買い手の気持ち―表情変化に合わせて商品の情報を出し入れし、商品価格を変動させられる側にいることが多いからです。
筆者の清水は、第7回の連載時から数え、3年以上の間、NPO法人日本交渉協会の特別顧問として、交渉理論と表情分析・観察とを融合させたスキルを構築すべく、現実及び実験における交渉場面で様々に試行錯誤してきました。そこで本日は、こうした過程を経てアップデートされた交渉を主体的に進めるための表情分析・観察スキルを紹介したいと思います。交渉理論と感情理論の理と相手の気持ちを考える情とを融合させたスキルです。
交渉の基礎理論に、
バトナ(BATNA:Best Alternative To Negotiated Agreement)とゾーパ(ZOPA:Zone Of Possible Agreement)というものがあります。バトナとは、代替案の中でも最も満足度が高い選択のことを言います。ゾーパとは、交渉者同士の留保点の間、つまり、交渉の合意範囲のことを言います。具体的な例で説明します。
ある売買交渉で売り手は次のように考えているとします。
「α社が取り扱うある商品の最低卸売り可能価格は、2,600円です。商談時には、卸売り価格を単価3,000円から始めるようにしています。大量購入や継続取引などの条件次第で最大2,600円まで値下げしています。しかし、買い手が、初期設定価格の3,000円で納得していれば、単価3,000円で卸しています」
一方、買い手は次のように考えています。
「ある商品をα社から購入したいと考えています。単価2,800円以下ならば、購入するつもりです。同様の商品を扱うβ社とは、商談済みで、単価2,800円で購入できることがわかっています。なるべく安く購入できないかと思案中です」
このとき、売り手のバトナは、2,600円です。売値が2,600円より下回ったら、売りません。損をするからです。一方、買い手のバトナは、2,800円です。買値が2,800円より高くなったら、買いません。損をするからです。代わりにβ社から買います。
ゾーパは、2,600円から2,800円の幅になります。
自分のバトナがハッキリしていれば、交渉を打ち切れるタイミングがわかり、また、相手のバトナがわかれば、適切な交渉を設計できるということを交渉学で学びます。
ここで売り手の立場になってみて下さい。買い手のバトナがわからない状態で、たまたま「価格は2,800円です。」と言えば、交渉はスムーズにスタートしますが、「価格は3,000円です。」と言い、この価格を維持するならば、交渉は決裂してしまうでしょう。
どのように買い手のバトナを得ることが出来るでしょうか?
買い手に「予算はいくらですか?」と聞き、正直に答えてくれれば、解決です。あるいは、自社が扱う同様の商品を扱う会社、ここではβ会社の卸値価格を何らかの方法で取得すれば、買い手のバトナがわかります。
しかし、買い手がバトナを正直に答えてくれているとは限りません。また、買い手はβ社から見積を得ているとは限りませんし、見積を得ていたとしてもβ社に価格以外にどんな付加価値を見出しているかわかりません。