窓ガラスが割られたことのある中華料理店
以前、パンデミック宣言からのロンドンにおけるロックダウンへの急展開を記した。(
「新型コロナウイルス、パンデミックからみるロンドンの街角。ロックダウン前後の日常」)それも半年前の事である。あまりにも日常が変化していないので、半年も時が経っていることに実感がない。
日本でもお馴染みのソーシャル・ディスタンス、マスクの着用、こまめな手洗い等基本的な日常の変化に加え、変わったことがもう一つある。
東アジア人を標的にした暴力である。
2月中旬、まだロックダウンが始まる前に大学内のスタッフルームで時間を潰していると、中国人同期女性が悲しげな顔で私に近づいてきた。「なぜか学内を歩いているときに人が私を避けているような気がする」と。確かに、2月の時点で東アジアの国々、日本を含め中国・韓国とコロナ感染者数は拡大していた。
「まさか、考えすぎでは」とその時は納めたが、その数週間後にロンドンの繁華街オックスフォードストリートで
シンガポール人留学生が数人の若者に暴行を受ける事件が発生した。
コロナは一部の人間の間で「中国ウイルス」、「武漢ウイルス」と言われ、欧米諸国に東アジア人差別が蔓延した。ここで特筆しておきたいのは、白人社会では私たちも皆「黄色人種」の東アジア人なのだ。中国だ、韓国だ、日本だ、と喚いたところで見分けがつくはずも無い。
ロンドンの各地で東アジア人を標的にした罵倒、暴行、セクハラ事件が相次いでいるという噂を耳にして少し身が引き締まった。
いざ、3月中旬にロックダウンが始まると、「日常」を奪われた人たちがその鬱憤を晴らすかのように東アジア人を標的とした差別が「日常」化した。
筆者自身も、「
おい、コロナ!」と若者グループに道端で叫ばれ、近所のパン屋で老婦人に「
コロナが移るから近寄るな」と罵倒された経験がある。もちろん、差別的な人はどこにでもいることだし、このようなことは無視を貫けば良いことだ。そう言い聞かせながらも、やはり自分自身の身の振り方や行動にかなり慎重になった。
そんな心中で迎えた「ブラック・ライヴズ・マター」運動。アメリカで始まった反黒人差別運動は、もちろん植民地の歴史を持つイギリスにも伝播し、ロックダウンの最中であったにも関わらず何万人もがデモに押し寄せた。
これは日本ではあまり知られていないことかと思うが、イギリスのような白人社会では、「
政治的黒人」として我々黄色人種もその括りの中に当てはめられる。そのような文脈から解くと(もちろんこれは私の持論に過ぎないことは前もって了承いただきたい)、
「ブラック・ライヴズ・マター」運動は「黒人」についてなのではなく「白人」社会における問題提起なのだ。
ジャマイカ生まれの文化理論家、スチュアート・ホールが称したように、これは「
西洋とその他」と言う対立構造の問題なのである。私たち東アジア人を含め、「有色人種」と言うカテゴリーが「白人」と対にならなければ存在し得ないカテゴリーと言うことも少し考えてみてほしい。疑問を感じないだろうか。
それゆえに
保守派の白人が「オール・ライヴズ・マター」(全ての生命が等しく尊い)ということは、差別を生み出してきた白人優位構造の立場から安易に言ってしまうのは無知、または欺瞞なのである。
確かに、コロナ禍における社会運動は感染リスクを考えると如何なものなのかなと思う。(しかもその当時イギリスは世界第4位のホットスポットとなっていた)
保守派が言うように、「コロナの鬱憤晴らしだろ」と思う人もいるかもしれない。
だが、むしろコロナによるこの日常の剥奪は今まで顕在化されなかった問題を浮き彫りにしたと言う意味では、2020年も後半だが、これは
価値のある年だったと私は思う。