エディ・ヴァン・ヘイレンとインドネシアの夢

アメリカで掴んだギターヒーローへの道

 カリフォルニアはアメリカでもアジア系が多いことで知られるエリアである。  最初、ヴァン・ヘイレン一家は英語はまるでできなかったそうだ。決して住みやすいとはいえない協同住宅に家族で落ち着くとと、父のヤンは、ロサンゼルスのバーや結婚式の演奏などの仕事をしていたが、最初の頃は病院の皿洗いや管理人の仕事もしていたそうだ。母のユージニアもレストランの清掃やメイドで生計を立てていたそうだ。もちろん、これは多くの移民が経験することである。  エディの母は音楽をはじめた兄弟には厳しかったそうだ。やがて、時代はジャズからロックへ。そしてここから先がギターヒーローのサクセス・ストーリーだ。

居場所のなかった「インドス」のたどり着いたアメリカンドリーム

 インドネシアの植民地時代のオランダ人と現地人のハーフは「インドス」と呼ばれているらしい。  そのうちアメリカ在住のインドスは「アメリンドス」と呼ぶ。  エディとアレックスのヴァン・ヘイレン兄妹は、インドネシアとオランダで苦しい時代を経験せざるをえなかったインドス、そしてオランダさえも居場所にならなかったアメリンドスの複雑な旅路の果てのアメリカン・ドリームなのである。 [参考サイト] ●ASIAN DAWNINDISCH HISTORISCH.NLVAN HALEN NEWS DESK <文/清義明>
せいよしあき●フリーライター。「サッカー批評」「フットボール批評」などに寄稿し、近年は社会問題などについての論評が多い。近著『サッカーと愛国』(イーストプレス)でミズノスポーツライター賞、サッカー本大賞をそれぞれ受賞。
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