太田さんは「滑り止め」として、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を受験していた。この滑り止め受験が、大きな争点のひとつとなるのだが、太田さんはそこでもふざけた。
「滑り止めと言ったら失礼ですけど、バカでも入れる。そこに行ったのがウッチャンナンチャンなんですけど」
アロハシャツを着た若者が「あははは!」と声をあげて笑う。きっとファンなのだろう、ラジオを聴いているような感覚で楽しくてたまらないのだ。しかし、その笑い声で弁護士の質問が聞こえず、記者たちが怪訝な顔をしている。太田さんのジョークはたしかに面白かったが、法廷は「ははは!」と笑えるような雰囲気ではないのだ。
裏口入学の自覚の有無に関しては、「ないです」とキッパリ反対。太田さんは試験前、日大の関係者にホテルに缶詰めにされ、試験内容を叩き込まれたと記事にあるが、それに関しても「ないです。驚きとしか言いようがない」と簡潔に否定した。
しかし、「この記事で仕事に支障は出なかったのか」と問われると、太田さんは溜まっていた思いをぶつけるように話し始めた。
「ろくな親父ではなかったけれど、とにかく暴力が嫌いだった。そんな親父がヤクザに頭を下げるわけがない。みなさんの爆笑問題・太田光っていうタレントのイメージは分からないけど、なんでも正直にやってきた。それを卑怯な手で入ったと言われた。芸人としてのイメージをねじ曲げられた。田中とも出会って、やってきた道のりの重要なポイント。
続きみたいになりますが、悔しいのは親父の名刺が誌面に載せられたこと。名刺には親父が若い頃に独立してつくった会社『三光』が記してある。『三』は親父の名前で『光』は親父が1番好きだったという字。会社ができた後に自分が生まれたんです。『光』は僕と親父を繋ぐ文字なんです。すでに亡くなっている一般人の名刺をあのような形でさらされた、それが悔しい。親不孝だった自分が、死んだ後にまで傷つけた。
新潮社は日本一の会社だと思っている。争いたいとは思わないが、悲しい。どういう気持ちで掲載したのか、それが知りたい」
おっしゃる通りで太田さんもそりゃ怒るよと思うのだが、裁判長は時計を気にしながら、「答えが長いので、簡潔に手短に」と一言注意。たしかに裁判における受け答えとしては圧倒的な長さだ。後ろに控えている証人たちにもつつがなく、話を聞かなければいけない。裁判はプロレスとはよく言うが、通常の裁判はあらかじめ用意された答えを順番に答える、といった感じ。それに合わせて閉廷時間を決めているのだから、みんながソワソワし始めるのも無理はない。太田さんは、「長いよねぇ…」と頭を掻いた。
ここまで裁判を聞いてなんとなくわかったのは、太田さんには自らの主張を裏付ける確固たる証拠がないということだ。「太田さんの知らないところで裏口入学が行われた可能性は?」と問われると、「そこはなんとも言えない。可能性は否定できない」と話したように、父・三郎さんはすでに亡くなっており、死人に口なし状態。そりゃ、証明のしようがない。そこでできることといえば、太田さんが実力で合格を勝ち取ったという信ぴょう性をあげることくらいだ。そこで高校時代の先生2人が証言台に上がった。
「非常におとなしい生徒で、本をよく読んでいた。文系科目が強く、定期テストではクラスで上位、模擬テストではかなり順位が高かった。本人に力はあったので、十分に合格する可能性はあったと思う」(担任のT先生)
「ゼロに近いほど友だちが少なく、昼休みはいつも図書館におり、読書量はものすごかった。演劇に対しての思いも強く、モノになるのではと思っていた」(演劇部の顧問)
2人の証言からすると、学生時代の太田さんはそこそこ勉強ができて、本当に友だちがいなかった、そんなところ。にしても、友だちがゼロなんてここで言う必要はあるのだろうか。太田さんを助けるつもりで言っているところがまた、本当に友だちがいなかったんだなと思わせてしまう。