(筆者)「対人距離が近くないと伝わらない感情」として、例えば、嫌悪などは、何か腐ったモノを食べてしまったとき目の前にいる周辺の人々に瞬時に伝わればよい種類の感情だと理解できます。
「遠くからでも伝わる感情」としては、遠くにいる人々にも伝えたい感情とも読めます。例えば、恥や羞恥は社会的ルールを逸脱した時に感じられる感情ですが、それを表情だけで瞬間的に表すより、身体全体で表した方が、近くだけでなく遠くの人々に一度に伝えることが出来、多くの人々に感情を効率的に伝えることが出来るでしょう。
Q.万国共通の表情を支持する研究と支持しない研究がありますが、こうした研究結果の違いはなぜ生じるのでしょうか?
非常に複雑ですので簡単には答えられないのですが、私は、表情の万国共通性を支持しない研究のほとんどに目を通しています。それらを理解するには、研究の方法を細かく検討しないといけません。
研究のタイトルや研究者の主張だけを見ても、信用できません。それがどんな方法で生み出され、どんな結果になり、どんな考察・解釈がなされているか、よく検討する必要があると思います。
表情の万国共通性を支持しない研究の方法論を観ると、そのほとんどが表情を見てその表情をどう判断するかという判定研究(Judgement Study)であり、表情がどう生じるかということについては何も言えないのです。
ゆえに「万国共通の表情は生じない」という主張は出来ません。
私の研究では、①自然な表情が生じる状況で実験・観察されており(Production Study)、②適切にその表情が計測されているか、という条件を満たすことを重視し、研究しています。
例えば、2004年のアテネオリンピック・パラリンピックでの柔道の試合において、メダル獲得の有無がわかった瞬間の表情を研究したところ、文化差がないことがわかりました。
そして、もう一つ。
アカデミックの世界で成功するには、地道に努力する真っ当な方法と、アカデミック界の良くない部分なのですが、有名な学者や有名な説を攻撃する方法があります。
万国共通性のような有名な説を攻撃することは、研究者として注目を集められるため、そうした研究にドラマチックなタイトルなどが付けられ、流布されているのもあります。
しかし、研究内容を詳しく観ると、表情の万国共通性を正しく反駁できている研究はないと、私は思います。
Q.アメリカの心理学者の中において、基本情動理論(万国共通の感情が存在するという考え)はどのくらい支持を集めていますか?
数年前に、アメリカだけでなく、世界の情動研究者を対象に、基本情動の有無や表情の万国共通性を信じるかどうかの調査(*)がありました。70%くらいの情動研究者が基本情動や表情の万国共通性を信じると回答しています。
Q.日本人の表情について、アメリカ人と比べて、特徴的な点はありますか?
色々な場面で日本人の皆さんと交流させて頂き、また45~55ヶ国の国々の方々とも交流させて頂いた経験から言いますと、だいたい人間は同じところと違うところがあると思います。
同じになるか同じにならないか状況によります。例えば、6時になり、仕事が終わって飲みに行けば、みんな同じです。アメリカ人も日本人もみんな同じです。日本人は顔には出さないと言われていますが、お酒を一杯飲めば、みんなゲラゲラ笑っています。
頭の中に、感情をつかさどる同じシステムをみなが等しく持っています。エンジンは同じ。ただそのシステムをどう使うかは、文化差ですね。