罵詈雑言やヘイトスピーチを言い続けてしまう人の、「正しい自己治療」とは

ネット上で悪口や罵詈雑言を続ける人は、過去の被害者でもある

植物イメージ2 悪口や罵詈雑言を言い続ける人は、どうやら自分のバランスを保つため、間違った自己治療的な行為で相手へと言葉の刃を向けているように思います。自分が言われたくない急所をよく知っているからこそ(自分が同じ言葉を発された被害者だからこそ)、相手の急所へと狙いを絞って迷わずかみつくことができるのです。  そう考えると、加害者となる人は、たいてい過去の被害者でもあることが多く、裏表の構造になっています。ただ、そうした悪い因果の鎖は、誰かがどこかで断ち切る必要があります。  相手への言葉の刃は、自分をも切り裂きます。なぜなら、相手への悪口やわき起こってくる負の感情に対して、自分の脳は他者に向けられているのか自分に向けられているのか判別できず混乱し、自分に対しても否定的な毒素として少しずつ自分を蝕んでいくからです。  相手への悪口、汚くののしるような心ない言葉。情報化社会となったことで、個人レベルで抑えこまれていたものが世間に溢れるようになってしまいました。ただ、そこに込められた呪詛のような言葉に影響されないよう注意して冷静に観察してみると、いろいろと発見もあり対策も打てると思います。

傷つけ合い批判し合う社会よりも、助け合い支え合う社会を

人イメージ 人と人とは、単純に関係性を持ちたいだけ、つながりたいだけなのに、急所にかみつきあい、傷つけあうことでしか関係性を作れない人もいるのかもしれません。関係性のつくり方が、どこかで間違って学習してしまったのかもしれません。その人の内側で停滞し腐敗しかけている水の流れを、どこかに放流して流そうとしているだけなのかもしれません。間違った自己治療のような行為として。  人から発されるものは、体の叫びのようなものです。言葉にならないものは、叫びやうめき、声のようなものとして発されます。それは頭だけではなく体でも同じようなことが言えます。  多くの人がキリキリと理由の分からない痛みを感じています。体はどこにも行き場がなく、キリキリと叫んでいます。その時の解毒方法が分からず、自己治療が分からず、体の歪みは複雑な経路をたどって、罵詈雑言やヘイトスピーチのような形で表に顔を出しているのかもしれません。  だからこそ医療者としてやるべきことが多いことを感じてもいます。そして、芸術にも自己治療の正しいやり方として、大きな役割があると思っています。芸術も医療も、失われたものをもう一度取り戻しに行かないといけないのではないか、と。 山形ビエンナーレ 2020年9月に開催された山形ビエンナーレは、現役の医師が芸術監督を務める芸術祭として、わたしたちが固有の健康を回復する未来の養生所になることを目指しました。いのちの可能性を追求する自由な聖域として。  コロナ禍の中、オンラインで行った芸術祭は2020年9月に一時的に幕を閉じましたが、まだアーカイブでいろいろな対談を見ることができます。そうした主催者の思いを感じながら、ぜひご覧になっていただきたいと思います。  傷つけ合い批判し合う社会よりも、助け合い支え合う社会をこそ、わたしたちは真に望んでいると思っています。 【いのちを芯にした あたらしいせかい 第7回】 <文・写真/稲葉俊郎>
いなばとしろう●1979年熊本生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014~2020年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任(山形ビエンナーレ2020 芸術監督 就任)。在宅医療、山岳医療にも従事。未来の医療と社会の創発のため、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に行っている。著書に、『いのちを呼びさますもの』『いのちは のちの いのちへ ―新しい医療のかたち―』(ともにアノニマ・スタジオ)、『ころころするからだ』(春秋社)『からだとこころの健康学』(NHK出版)など。公式サイト
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