(Photo by Kazuhiro NOGI / AFP)
この原稿を原稿用紙に万年筆で書いている。
昔の言葉で言えば「筆一本で生活する」ようになって四年がたつが、現実にこうして「万年筆を動かして、商用原稿を書く」のは初めてだ。いつもは頭に浮かんだ言葉をキーボードにぶつけ、モニターに表示される文字列を自分で読み返し、仕上がった原稿を編集者にメールで送っている。
しかし今回ばかりはそうはいかない。この原稿はぜひとも手で書かねばならない。手で書き、自分の筆圧を感じ、ある種の肉体的負荷を自分に課さなければならない。
いささかエッセーめいた書き出しになったが、その理由はこうだ。
安倍晋三が総理大臣を辞めるという。辞めたければ辞めればいい。総理とて労働者、辞めたいタイミングで辞める権利はある。しかし、それが誰であれ、総理が辞めたとなれば当然のこととして、その
政権の総括が求められる。この原稿もまさにそうした当然の要求から生まれているものだし、辞意表明会見からこのかた半月、あらゆる媒体で、あらゆる書き手、あらゆる論者が、安倍政権総括記事を書き続けているのも、そのためだ。
ただ、安倍によるあの辞意表明会見そのものも、その後うち続く様々な総括記事も、
あらゆるものが全て、雲をつかむようなものばかりではあるまいか。
たとえば、辞意の最大にして唯一の理由だという総理の「
持病」について。
何をどう調べても、
「安倍晋三は、潰瘍性大腸炎である」と断言する人物は、安倍晋三しかいない。物の見事に、誰一人として、「安倍晋三は潰瘍性大腸炎である」と
第三者証言を提出してこないのだ。たしかに「第一次安倍政権も同じ理由で、安倍は辞任した」とされてはいるが、それは誤解にすぎない。
2007年の辞任会見で彼が辞任の理由としてあげたのは、「テロとの戦いを継続する上では自ら辞任するべきと判断した」というもの。その翌日安倍は緊急入院をする。そしてさらに2週間後、安倍は慶応付属病院で医師同伴の記者会見を行うが、この席でさえ、
安倍は「潰瘍性大腸炎である」とは言っていないし、同席した医師2名も具体的な病名をあげることはなかった。その翌年、安倍は『文藝春秋』に手記を寄稿する(2008年2月号)。このとき初めて「安倍晋三は、潰瘍性大腸炎に罹患している」との情報が提供された。しかしそれとて、
安倍の本人証言に過ぎない。
それから12年以上の月日が流れたが、この間、何をどう探しても、診断書の類いが公開された形跡はないし、第三者が「安倍の持病は潰瘍性大腸炎である」と証言した痕跡もない。
総理に復帰する直前、安倍晋三は、「日本消化器学会」のパンフレットで、安倍の主治医でありその学会の幹部だという医師と対談を行っている。しかし
その対談の中でさえ、「安倍晋三は潰瘍性大腸炎に罹患している」と証言するのは安倍本人だけ。対談相手の主治医は、安倍の「症状」について言及するものの、
病名は一切口にしない。むしろ、主治医は病名を口にすることを巧妙に避けているようでさえある。やはり、「安倍晋三は潰瘍性大腸炎に罹患している」との情報には、どこをどう掘り返しても、物的証拠も、第三者証言も一切存在しないのだ。ただただ、何の物的証拠もない本人証言だけの情報がそこにあり、そのあやふやなものを根拠に、本人も、周囲の人間も、侃々諤々の議論をしている……何と空虚であることか!
この
空虚さなのだ。この空虚さこそが、安倍政権そして安倍晋三という政治家の特徴であり、この7年半、日本を覆い尽くしてきたものの、正体なのだ。
書く対象が空虚なものである以上、書く側は、その空虚さとどこまでも距離をとらねばならない。相手が虚であれば、当方は実に拠らねばならぬ。実に拠れば、相手の虚の来し方を伺い知ることができるのではないか。徹底した虚に対するのだから、こちらは徹底した実であらねばならない。実のあるものには重みなり痛みなりの実感があるはずだ。その実感を得るため、この原稿を万年筆で書くと私は決めた。
自分でも、この理屈の飛躍や子供っぽさは十分理解している。しかし、予定の紙幅を半ば過ぎるまで万年筆を走らせ、軽い肉体的疲労を感じる今、これは間違いではなかったと確信しつつある。