肉体労働者から作家に成り上がった男は、なぜ「成功の犠牲者」だったのか? 映画『マーティン・エデン』の描く普遍性とは

作家自身の“批判”としての物語

 この物語を書いた作家ジャック・ロンドンは、実際に労働者階級出身で、骨太の社会主義者でもあり、若き日の破天荒な生活を経て大作家になるという、アメリカン・ドリームを体現した人間だ。そんな「まるで小説の主人公」な波乱万丈の人生をベースにして生み出されたマーティン・エデンというキャラクターは、超人的な意思の強さを持ち、破壊的なまでの行動力もある、どこか憧れをも抱いてしまう人物でもある。
©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

 そのマーティンを演じたルカ・マリネッリは「マーティンは原作者のジャック・ロンドン自身であり、この物語は彼にとって自分にとっての批判である」と考えていたそうだ。  確かに、劇中のマーティンは、夢に向かってひた向きと言えば聞こえは良いが、短気で融通が利かないところがあり、とても褒められるような人間ではない。さらに、ルカ・マリネッリは「自分を見せたくないから人と距離を保っている」「人から望まれていることに応えるけど、その他のことはどうでもいいと思っていそう」とも、マーティンを分析している。  マーティンは、後に成功する作家とはとても思えないほどに小心者かつ不器用でもある。ジャック・ロンドンは、自分の嫌なところを反映したマーティンというキャラクターを作りあげることで、自身の“心の闇”と向き合おうとしたのかもしれない。  余談だが、物語の舞台は原作の20世紀初頭のアメリカ西海岸オークランドから、イタリア・ナポリへと変更されている。ピエトロ・マルチェッロ監督は舞台を変えたことについて、「若者が困難を克服し、知識を得ることで自分を解放し、前進するというストーリーに向いている街だ」と自信を持って語っているのだが、やはりその場所は美しい一方、どこか退廃的で薄暗くもあり、マーティンの心の闇をそこはかとなく表現しているようにも見えた。

「成功の犠牲者」としてのマーティン

 マーティンは、原作者のジャック・ロンドンと同じく作家として成功するのだが、自分を見失い、ネガティブな人間へと変貌してしまう。そのマーティンを、ピエトロ・マルチェッロ監督は「成功の犠牲者」と表現し、そして普遍的なキャラクターであるとも考えていたという。  その理由は、「青年が男になり、世の中を知る」「彼は知識や教養を吸収し、それを通して本当の自分を取り戻す」「そしてその後に自分を放棄してしまう」というのは、普通の人間とそう変わらないから、なのだそうだ。
©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

©2019 AVVENTUROSA – IBC MOVIE- SHELLAC SUD -BR -ARTE

 さらに、当のジャック・ロンドンもこう語っていたこともあったそうだ。「意識しようがしなかろうが、僕らみんなの中にマーティンは存在する。でも、誰もそれを認めたがらない」と。  表面的にみれば、本作の物語は「アーティストが夢に向かって邁進し、そして成功を掴み取るが、様々な大切なものを失っていた……」というものであり、それは普通の人は歩まない人生ではあるだろう。だが、ピエトロ監督やジャック・ロンドンが言うように、マーティンの心理や行動原理、そして「成功の裏に犠牲がある」という事象は、実は誰にでも“ある”と思える、やはり普遍的なものなのだ。 <文/ヒナタカ>
雑食系映画ライター。「ねとらぼ」や「cinemas PLUS」などで執筆中。「天気の子」や「ビッグ・フィッシュ」で検索すると1ページ目に出てくる記事がおすすめ。ブログ 「カゲヒナタの映画レビューブログ」 Twitter:@HinatakaJeF
1
2