「れいわ新選組」の歴史的功績とは。参議院選挙から1年、『れいわ一揆』が問いかけるもの

(C)風狂映画舎

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 2019年夏の参議院選挙における「れいわ新選組」の候補者を追ったドキュメンタリー『れいわ一揆』が9月11日より公開される。参院選には、女性装の東大教授として知られる安冨歩氏をはじめ、個性豊かな10人の候補者たちが出馬し、熱戦を繰り広げた。  17日間に及んだ選挙戦を約4時間のドキュメンタリーにまとめあげたのは、『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三、『全身小説家』の井上光晴など「強い個人」に焦点を当てた作品で知られる原一男監督。本来は今年4月に公開が予定されていたものの、コロナ禍の影響で公開が延び、山本太郎氏の都知事選の立候補という新たなドラマもまた生まれた。コロナウイルスの感染が拡大する前の3月、原監督に映画の制作動機や安冨氏の魅力について、お話をうかがった。

安冨歩氏の印象は「言葉の人」

――『れいわ一揆』を作られるきっかけは、安冨歩さんに会われたことだったとお聞きしました。  私はYouTubeで、毎回ゲストを呼んでトークをする「原一男のネットde『CINEMA塾』」という番組を運営しているんですけど、2018年の夏、安冨さんに出演していただきました。その時に(埼玉県の)東松山市長選挙に出馬された話を聞いたんですね。それで非常に話が面白かったので、今度選挙に出る時があったら教えてください、私が撮りましょうと持ちかけてみたんです。そうしたら、もう選挙に出る気はないと。東牧山選挙の1回きりでいいんだとおっしゃられていたので、じゃあ逆に、映画を撮るためにもう一回立候補することはありえますかと言ったら、それはやぶさかではないと。映画を撮るためにもう一回出てもいいな、あはは、みたいに言ってくださいました。ただ、それはそれで終わっていたんです。
原一男

原一男監督

 それから1年たって、私たちは北米で上映ツアーをしていて、その途中に安冨さんからメールが来たんです。「私の映画を撮ってください。映画を撮ってくれるなら立候補します」という内容でした。私のほうから言い出したことが相手に求められるようになったんだから、断ることはできない。そう感じて、映画を作ろうと決めました。 ――安冨さんの印象はいかがでしたか。  最初は、「女性装をしている東大の先生」というごく月並みなものでしたが、やがて「言葉の人」という印象に変わりました。映画を進めるうえでひとつ誤算だったのは、番組で選挙の話を聞いた時の私のイメージというのは、地方選挙だったんですよね。地方の農村などの、投票する人とされる人との結びつきが強くて、泥臭くてねちっこい選挙戦のイメージを勝手に持っていて、自分が選挙を撮るのであれば、そうした泥臭さやねちっこさを前提に撮りたいと思ったんです。今回は参議院選挙だったので、イメージと違うのでどうしようかと悩みましたが、やがて各候補者が発する、言葉に焦点を当てていこうと思いました。  というのは、安冨さんの言葉に魅了されたことが大きかったからです。選挙に入ってみて、はじめて安冨さんの演説を聞いて、その言葉がやはり素晴らしいと思いました。私のこれまでの映画の登場人物と比較しても、安冨さんの言葉はすっと入ってきて、かつ心地よかったんです。安冨さんの言葉は学問的な裏付けがあって、かつ、それを非常にわかりやすく話してくれるので、もやもやしていることもすとんと腑に落ちる。 ――たとえば、どういった言葉にそれを感じましたか。  たとえば、「豪華な地獄」とかですね。言葉としては短いけど、映画のキャッチフレーズにもなりえるし、直感的に理解できる。そういう快感があるんですよね。一番いいと思うのは、「日本立場主義人民共和国」。すごく新鮮ですよね。なかなかそこまで思いつかない。

「強い個人」から「生活者」へ

――群像劇を撮ることについて、お伺いできればと思います。原監督の作品は強い個人を追った作品が今まで中心でしたが、大阪・泉南のアスベスト裁判を追った『ニッポン国VS泉南石綿村』は10人以上に及ぶ原告の方々が映されています。本作も安冨さんを入り口にしつつも、れいわ新選組のさまざまな候補者に焦点を当てる作品になっていますね。  そのようになるのは、これまで私が求めていた「強い個人」が社会にいるかいないか、その差であると思います。少し長くなりますが、まず前作である『ニッポン国』の成り立ちからお話しします。私の作品は、多くが昭和時代に撮られたものですね。『さようならCP』『極私的エロス・恋歌1974』『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』……。『全身小説家』は平成になってからも撮ってはいますけど、ただ私の中では平成になっても、昭和という時代は終わったとはあまり思っていなかったんです。根底の部分ではずっと続いている意識があって。それでも、時代が変わるんだと思ったのは、「強い個人」が、平成になっていなくなったという実感を持ったからです。『全身小説家』に続く新たな作品を作るために、ずば抜けた力を持った個人を本気で探しましたけど、10年くらい探しても見つからない。そうすると、次の10年はなぜいないかをいろいろ考えるんですよ。考えて出した結論が、強い個人というような生き方が、時代の中で許容されなくなったということでした。
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 自分はもう強い個人に焦点を当てる映画は作れない。もう作り手としては終わりかなと悶々としていた中で、泉南のアスベスト問題をやってみないかと声をかけてくれたのが、関西テレビのプロデューサーだったんですよ。結局関西テレビでは話は立ち消えて、自主制作で映画作りを続け、撮影に8年、編集に2年をかけました。主だった被写体となるのは、国に対して損害賠償を求めて国を訴えた原告の方たちですが、彼らはいわゆる「強い個人」ではありません。撮影の間、編集の時もそうですが、こんなに普通の人を撮って面白くなるのかという不安が、ずっと私の中につきまとっていたんです。それで不安があるまま映画が完成をして、はじめて観客に見せたのが、2017年秋の山形国際ドキュメンタリー映画祭の場だったんです。山形で上映が終わった後、ロビーを歩いていたら映画を見ていた人が私のところにぱっとよってきて、「見ました」、「面白かったです」と言ってくれるんです。それが4、5人じゃなくて、30人くらいの人が言ってくれたので、これはお世辞で言っているんじゃない、けっこうおもしろい映画になったんだなと自分で納得できたんです。  それから、普通の人を撮らないと決めていた私が、普通の人を撮ることの意味を積極的に考えるようになりました。順序について話すと、泉南より早く水俣病を題材にした『水俣曼荼羅』を私は撮り始めていたんです。水俣病で苦しむ方たちも、言ってしまえばごく普通の生活者です。ふたつの作品で、普通の生活者を撮ることの意味を考え続けていて、ふっと自分の中ではっきりしたことがありました。そもそも自分自身も、普通の生活者の中から生まれたんだから、私自身の出自が「生活者」であることを考えざるを得ないし、そもそも昭和天皇へのパチンコ狙撃事件などでも知られる、奥崎(謙三)さんも、はじめからぶっとんだ人ではなかったはずだと。私は「生活者」という言葉に対して、「表現者」という言葉を置いているんですけど、生まれた時から「表現者」であるわけではなくて、長い時間の中で、「表現者」として生きることを選んだ。だから「表現者」の人も、そうである前にまず「生活者」という感覚を持った人たちであることに気づいたんです。泉南の時に「生活者」を取りましたけど、彼らも泉南闘争を戦うことで、少しずつ「表現者」のほうにシフトしていく感じがある。 ――「生活者」から「表現者」への変化ということで言えば、候補者の中ではシングルマザーで、長年派遣労働に従事されてきた渡辺照子さんにもっとも近いものを感じます。市井の感覚から、誰にでも理解できる情感のある言葉を紡がれていますよね。  そうですね。言葉の面で言えば、安冨さんの対極にあるのが渡辺さんであるとは思っています。どう違うかと言えば、安冨さんは言葉が知的で、洗練されているんですよね。逆に言えば、生活から乖離しているという印象もあるんですけど、渡辺さんは生活の中から出てくる、情感に満ちた言葉を使う。そういう差がある。
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選挙戦を通じて変化した安冨氏
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