現代は病院が医療の場の主役です。病院には医学に関する教育と訓練を受けた専門家たちが集い、昼夜を問わず診療業務にあたっています。昼も夜も、あらゆる人たちのあらゆるニーズに対応する病院は、暮らしを守り、地域を守るために極めて重要な場です。ただ、現代の医療体制だけではすべてのニーズに対応できるわけではなく、医療現場は疲弊しています。
では、今後求められる新しい医療の場は具体的にどういうものでしょうか。どのような場が、現代医学としての病院を支え、守り、「いのち」を守る医療をより深く広いものに充実していけるのでしょうか。
そのことをうまく伝えるために、
大林宣彦監督のことを記したいと思います。大林宣彦監督は、最後の作品を完成させた直後に亡くなられました。命日の2020年4月10日は、遺作『
海辺の映画館―キネマの玉手箱』の封切り予定日でした。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、3月31日に公開延期が決まり、その直後に亡くなられました。
映画の神に生命を捧げるように生きた大林監督が、人生をかけてこの世界へ伝えようとしていたのは何だったのでしょうか。
「フィロソフィー」を大切に共有し、ともに悩み、考え続ける
大林監督の演出方法は独特なもので、役者は脚本通りに演技することを封じられたそうです。「役を演じる」のではなく「役を生きる」ことを求め、監督は「
フィロソフィー(哲学)」を提示する存在として、演技の模範解答を提示しませんでした。
現場の変化に応じて考えなさい、と呼びかけながら脚本自体も常に変化したそうです。おそらく「映画」という現場における創造行為を全員が共同創造者として参加して考えることを求めていたのでしょう。
俳優はもちろんですが、カメラマンの方も音声の方もアシスタントの方も、すべてのメンバーが映画を創る創造行為の一員として全員が平等に悩み考え、心動していくことを求めたのだと思います。
大林監督が映画を介して現代に遺し伝えたかったことも、映画の現場だけではなく、社会という場も医療の場も、「フィロソフィー」をこそ大切に共有して、そこに関わる人たちは全員が創造者の一員としてともに悩み、考え続けることを呼びかけていたのではないでしょうか。
そして、これからの時代で守るべきフィロソフィーは「いのち」というフィロソフィーなのではないでしょうか。