オリヴィア・ワイルド監督は、本作を“友情の物語”であるとも語っている。それをもって、「多くの人にとって思春期の友情というのは、人生で最も親密な関係」「大人になってから当時のことを振り返ると、その友情の影響が、今の自分の人格や、人間関係にもあることに気づかされる」という、人生哲学も掲げていた。
確かに、「あの時の友情が、今の私を形作ったのかもしれないなあ」と大人になって思うことはあるだろう。『ブックスマート』の親友同士のふたりは、ずっと仲良しというだけでなく、時にはすれ違いもしてしまう。そうした苦い経験でさえも、大人になってから“糧”になるのだと、改めて気づかされるようにもなっている。
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また、本作は「リア充の楽しさを1日だけで取り戻してやる!」な導入ながら、ダサい女の子たちが無理をして、人気者になろうとしたり、外見を変えようとする物語ではない。主題となっているのは、キャッチコピーにある「最高な私たちをまだ誰も知らない」の通り、今まで知り得なかった彼女たちの“ありのまま”の姿であり、そして友情というものの本質的な素晴らしさだ。
等身大の青春と、そして友情を追った物語は、コメディとしてクスクスと笑える以上に、感動的でもある。それは、思春期の時間を通った全ての人に通じるもの。青春の当事者である若者に観てほしいというのももちろんだが、『ブックスマート』は、かつての友情に思いを馳せる、大人にこそオススメできる映画なのだ。
タイトルのbook smartとは、勉学に励む頭の良い人を指す形容詞または名詞であるが、同時に「頭は良いけど、なんでも本(book)に書かれた通りにやろうとしている」、つまりは「学識はあるが常識がない」「頭は良いけど、世間知らずなんだよなあ」という、否定的な意味も含んでいる
主人公のモリーとエイミーもまた、勉強に励むあまり世間知らずでもあった、book smartな人間だったのだろう。そんな彼女たちが1日で青春を取り戻そうとし、なおかつパーティー会場で今まで知り得なかったクラスメイトたちの違う側面を見るのは、book smartからの脱却である。その過程では、彼女たちが本の虫などではなく、本質的に賢い人間であることにも気づかされる。だからこそ、逆説的にこのタイトルが付けられているのだろう。
『スーパーバッド 童貞ウォーズ』からのアップデート
『ブックスマート』に近い内容の映画に、『スーパーバッド 童貞ウォーズ』(2007)がある。こちらは童貞の高校生3人組が、卒業パーティーでそれぞれの意中の女子生徒との初体験を目指して奮闘するという内容だ。下ネタが満載で、卒業パーティーに向かう(お酒の入手)までの過程はトラブルの連続で、それでいて等身大の友情の素晴らしさを描いている様など、両者は共通することが多い。
しかも、『スーパーバッド』で主人公の1人を演じていた俳優ジョナ・ヒルは、『ブックスマート』のモリー役のビーニー・フェルドスタインの実兄だったりもする。『ブックスマート』は『スーパーバッド』の“姉妹版”と呼んでもいいだろう。
『スーパーバッド』の主人公3人はそれぞれ魅力的ではあるが、やや“絵に描いたようなオタク”のような、過剰かつステレオタイプに見えるところもあった。それはそれで面白いのだが、『ブックスマート』の主人公2人はオタクではなく、“その魅力に周りも気づかされなかった”人物になっている。前述した通り、『ブックスマート』では多様性のあるキャラクターも強調され、『スーパーバッド』での“異性が異性を追かける”という一方向的な物語性もやや回避されている。
とても似ている内容の『スーパーバッド』と『ブックスマート』だが、ただ主人公の男女を入れ替えたというだけでなく、12年という歳月をかけて、LGBTQや同性愛を含む“人間の多様性を描く”という意味でも、現代的な価値観がアップデートされていると言っていいだろう。ぜひ両者を見比べて、くだらなさに笑いつつも、その真摯なテーマ性にも注目してみてほしい。
<文/ヒナタカ>