PCR検査を阻む「感染症利権」と安倍総理の政策センスのなさ<『ドキュメント感染症利権』著者・山岡淳一郎氏>

厚生労働省

Mugimaki / PIXTA(ピクスタ)

厚労省と文科省の縄張り争い

―― 山岡さんは新著『ドキュメント感染症利権』(ちくま新書)で、日本の新型コロナウイルス対策がうまくいかない背景を、歴史にさかのぼって描いています。安倍政権のコロナ対策の最大の問題は、PCR検査が一向に増えないことだと思います。この原因はどこにあるのですか。
山岡氏の新刊

山岡氏の新刊『ドキュメント 感染症利権』(ちくま新書)。新型コロナ感染爆発に際して露わになった、危機下における医療と政治のせめぎ合い。公平な医療を阻む政官財学の構造的絡まりによる邪悪な「利権の闇」「見えない壁」を暴き出す。

山岡淳一郎氏(以下、山岡):PCR検査の精度がよくないとか、偽陽性や偽陰性が出るだとか、様々なことが言われていますが、ネックになっているのは厚生労働省と文部科学省の縄張り争いです。  もともと日本の感染症対策は、厚生省国立感染症研究所(感染研)国立国際医療研究センターが主軸となって行うことになっています。感染研がウイルスの遺伝情報の解析や、予防、検査、診断、治療に関する生物学的製剤の製造などを行い、国際医療研究センターが患者の治療にあたり、その知見を研究にフィードバックします。厚労省はこれら全体を調整するのが役割です。  新型コロナのPCR検査に関しても、感染研が必要な試薬や装置を組み合わせ、自家調整の検査に取り組んでいます。彼らは1月28日から全国約80か所にある傘下の地方衛生研究所にマニュアルを配り、自家調整のPCR検査の体制整備に取りかかっています。同日、安倍政権も新型コロナ感染症を感染症法の「指定感染症」、検疫法の「検疫感染症」に指定する政令を出しています。  しかし、2月3日にダイヤモンド・プリンセス号が横浜大黒埠頭に接岸すると、この体制はたちまち暗礁に乗り上げてしまいます。検査を行う地方衛生研究所のキャパシティが絶対的に足りなかったのです。人も予算もどんどん減らされてきたツケです。  そこで、厚労省と感染研は検査体制を拡充するため、民間の受託検査会社にPCR検査の実施を打診します。しかし、ここでは感染研が自家調整した検査法を行うことが前提になっていました。民間会社からすれば、自家調整の検査は事前に必要な試薬を集めて調整したり、検査の質を確認したりしなければならないため、手間暇がかかります。これではPCR検査が拡大しないのは無理もありません。  他方、文科省側は3月中にPCR検査に関して大学への聞き取りを終えていました。日本の大学病院の多くがPCR検査機を所有しており、理化学研究所なども十分な検査能力を備えています。厚労省と文科省が力を合わせれば、検査拡大に向けて一気に動き出すことができたはずです。  しかし、加藤勝信厚労大臣は文科省への協力要請を行わず、それどころか一般の大病院のPCR検査を認めようとしませんでした。文科省も厚労省に働きかけようとせず、不作為を続けました。緊急事態宣言をきっかけに大学や研究機関の活動が止まってしまったことも大きかったと思います。こうしてPCR検査拡充は妨げられることになったのです。

過重労働を強いられる保健所

―― この間、「新型コロナの疑いがあるので保健所に相談したが、保健所が取り合ってくれなかった」といった批判がなされていましたが、これもPCR検査を厚労省の管轄内で収めようとしたことが原因だと思います。 山岡:その通りです。日本の保健所は新型コロナ感染の対応窓口「帰国者・接触者相談センター」を運営し、感染者が病院に殺到して医療崩壊が起きないように調整役を務めています。保健所の相談センターが必要と判断すれば、病院の「帰国者・接触者外来」を紹介し、PCR検査を行います。そして、そこで陽性だったら入院するという流れになっています。つまり、保健所は病院に入る前に患者をチェックして振り分ける「門衛」の役割を担っているのです。  しかし、新型コロナの感染拡大によって、保健所は人的にも物的にも大変厳しい状況に立たされました。たとえば、世田谷区の保健所では、職員たちが相談センターの電話対応をし、感染の疑いがある人の家に出張してPCR検体を採取し、その検体をボックスに入れて検査機関に運び、検査結果を本人に知らせ、陽性の場合は治療を受ける病院を選んで患者を送迎するといった具合に、ほぼすべてを一手に担っていたのです。相当な過重労働です。  保健所の管理手法が前近代的なことも大きな負担になっています。保健所は感染者を一人ひとり調べ、データにまとめると、その通知を都道府県に対してファックスで行っています。この作業のために夜中の2時、3時まで残業することも珍しくありません。いまどきファックスを使っていること自体珍しいですし、ファックスの回線が混み、データが滞留してしまうこともあるそうです。他の先進国では考えられないことです。  これは見方を変えれば、それだけ保健所が軽視されてきたということです。日本では1994年に効率を重んじる地域保健法が成立したことをきっかけに、保健所の統廃合が進みます。その結果、1994年には848か所あった保健所は、2019年には472か所へとほぼ半減してしまいました。保健所の数が減れば、個々の保健所の担当領域が広がるため、どうしても住民との距離は開いてしまいます。国の補助費もどんどん削られ、保健所の力は衰える一方です。  そのため、保健所からすれば、これ以上限られた資源の中でどう戦えばいいのかということになるわけです。現在のような厚労省中心の枠組みではどうしても限界があるのです。
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PCRが増えない元凶は……
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月刊日本2020年9月号

【特集1】中国とどう向き合うか

【特集2】コロナ危機から敵前逃亡する安倍総理

【特集3】問われる国家指導者の責任