非常口、変電施設、橋梁……すべてが遅れて見通し立たず
「除山非常口」の掘削現場を覆うフェンスは倒壊していた
集落の下を流れる川の上流にある工事現場を見に行った。現場までの道路は現在、JR東海の工事専用道路になっている。そのため、山道をたどって川の対岸からトンネル掘削地を眺めた。豪雨で流されたのだろうか、工事現場のフェンスがなくなっていて現場が丸見えだった。ほかにもフェンスが倒壊した場所や、フェンス下の地面が崩落した箇所が対岸から見えた。
被災は見たところフェンス周辺だけに見えるので、掘削工事は再開できるかもしれない。しかし、いくらJRが頑張っても地滑りを止めることはできないし、重機を自由に持ち込める状況ではない。現実は厳しい。
大鹿村内には4か所のリニア本線トンネルに通じる斜坑掘削地があり、完成後には非常口となる。JR東海は2014年10月の認可後、2016年11月に大鹿村内で起工式を行い、今回見に行った「除山非常口」を2017年4月に、同年7月から「小渋川非常口」を掘削しはじめた。
「青木非常口」は中央構造線沿いにあり、難工事が予想される
釜沢地区にはもう1か所「釜沢非常口」があり、こちらは2020年3月から、そして伊那山地トンネルの「青木非常口」は2020年7月17日に掘削を開始している。
工事認可後の2014年の事業説明会では、村内非常口は2015年秋、変電施設は2016年、小渋川に架ける橋梁は2017年にそれぞれ掘削・建設を始めるとされていた。非常口については、いちばん早い「除山非常口」の工事着手も1年半遅れとなっている。未着手の変電施設や橋梁も、それぞれ4年遅れ、3年遅れとなっているうえに工事開始の見通しは立っていない。
大鹿村の現状も、JR東海が目標としていた「2027年の開業」に間に合うものではまったくない。静岡県側の工事の遅れによってリニアの完成時期が先延ばしになるといった報道が見られるが、長野県側でもやはり工事は遅れているのだ。
「小渋川非常口」の対岸に予定された残土置き場予定地は、今回の豪雨で完全に水没
遅れの理由はいろいろある。例えば、路線の維持管理の経験はあっても、建設工事の経験のないJR東海は、地元との調整や手続きにもたついた。もともとJRとしては、起工式が行われた「小渋川非常口」からの工事開始を予定していた。しかし、住民が掘削予定地の保安林解除に異議を申請して、2年近くの遅れが出た。
2015年秋着工の予定だった「釜沢非常口」も、現場に至る橋梁の建設に手続き上の時間がかかったうえ、保安林解除の地権者交渉でつまずいた。ヤードの規模を縮小して、5年遅れで2020年3月にやっと着手できた。
釜沢地区の残土仮置き場はすでに満杯。先の豪雨では、後背の斜面が轟音を立てて崩落したという
大鹿村内だけで300万㎥(東京ドーム2.4個分)とも言われる大量の残土処理も、遅れの大きな原因だ。村内の残土置き場はどこも10万㎥以下の小さなもので、平地が少ないのでその数も限られている。
当初、村外の残土置き場は谷を埋めて造成する予定だったが、下流住民の反対でとん挫したり、地元住民との調整に手間取ったりしている。長野県南部の伊那谷では、1961年(昭和36年)の「三六災害」で各地が被災し、その経験が共有されていたのだ。
「三六災害」とは、死者行方不明者136名、浸水家屋1万8000戸以上、土砂崩れ約1万箇所という、伊那谷を襲った豪雨による大災害だ。大鹿村内での今回の降雨量は、この「三六災害」を上回った。残土置き場造成への住民の反発は、大きくなることはあっても小さくなることはないだろう。
実際に「青木非常口」は5年遅れで着手したが、隣接する村の残土置き場をリニア工事に使用するため、大鹿村内の別の場所にその残土を移すという迂遠な作業をしていた。釜沢地区では残土を農地に仮置きしたが、その場所はすでに満杯になっている。
長野県が飯田市への残土搬出のために建設した道路は、濁流に流された。その復旧工事も、その後の雨でさらに流された
残土の処分場が決まらないので、予定地に仮置きした残土を片づけられずに変電施設も建設できない。また、飯田市に建設予定のリニア「長野県駅」で立ち退く住民の引っ越し先造成のために、大鹿村の残土を利用することになっていた。しかしこの残土を排出するために長野県が建設した河川敷の道路も、今年の豪雨で流出した。
こういった豪雨は近年頻発していて、残土の問題があと5年できれいに片づくとは思えない。「被災現場の復旧と残土の処分地探しで、トンネルを掘りたくてもできない」というのが、長野県側のリニア建設工事の実情だ。
<文・写真/宗像充>