北朝鮮の焼肉店で繰り広げた、現地人学生との熾烈な論争<アレックの朝鮮回顧録12>

外国人への閉鎖性を感じさせた同宿生の言葉

 我々は引き続き、食事を楽しみながら話をした。話題は幸いにも変わったが、仲の悪い家庭の食卓で行われるような熾烈な論争はとめどなく続いた。 友人「あなたの家は平壌のどこにありますか?」  金髪の友人はかしましく聞いた。 同宿生「普通江区域にあるアパートです。ファングムポル駅からそう遠くありません」   友人「ああ、そうですか? 私の友人もそこに住んでいました。もともと我が国の駐在朝鮮大使館で勤務していたのですが、平壌に帰ってきました。彼のアパートも普通江区域のあなたのアパートの近くにあります」 同宿生「ああ、しかしその人を友人だと言えるのですか?」 友人「友人という呼称はなぜ適切ではないのでしょう?」 同宿生「あなたはその人の家を訪問できますか? 行かれないでしょう。だから友人とはいえず、知己と言うべきでしょう」  我々三人はまたしても沈黙にはまった。全員が知っているが、口には出せない事実がある。  まさに、金髪の友人が彼の家に行かれない理由は、彼らの間に友情が欠如しているせいではなく(その人は実際ヨーロッパに駐在していたとき、金髪の友人の家に食事をしに行ったことがある)、北朝鮮の社会統制体制が外国人が朝鮮人の家に行くことはもちろん、現地人とのすべての承認なき接触を許さないからだ。  同宿生はまた公式的な色を帯びた「知己」が正しいと主張したが、我々はその趣旨がなんなのか把握できなかった。  我々外国人留学生が真の「龍南山の息子」(金日成総合大学の学生を詩的に表す代名詞。校庭が龍南山に位置する)として永遠に認められないことを、思い知らせるための意図だろうか?   いずれにしろ彼が我々に行う統制と不平等な扱い、普段の日常会話では無視することを遠回しに表現したこと自体に驚いた。

「西洋社会は朝鮮戦争の勝利をなぜ認めないのか」

 政治談議を好む同宿生は、会話の方向を戦争と平和という大きなテーマに移した。 同宿生「君たちは文化背景の違う西洋人であるが、どうしても我々の祖国解放戦争(※編集部注:朝鮮戦争)の勝利を立派な業績として認めないのですか?」  彼は断固とした口調で言った。  私は口をつぐまなければならなかったが、悪魔の弁護人の役割をしたい誘惑を捨て去ることができなかった。 「ベトナムと比較してみましょう。社会主義の北ベトナムはベトナム戦争で南北を統一したでしょう。そう考えると統一を成功させられなかった北朝鮮は勝利したと言えるでしょうか? アメリカと南朝鮮がまだ朝鮮半島と対峙しているため、膠着状態だと言うのがより妥当ではないでしょうか?」  同宿生は自信の主張を支えるため付け加えた。 同宿生「それにもかかわらず、朝鮮のような国が単独で世界の強大国であるアメリカを倒した偉業は否めないのではないですか?」  私は論争のための論争という態度で引き続き反論した(しかし誰が論争を始めたのかという頭の痛い問題はスルーした)。 「単独で? 中国が当時解放軍をどれだけ送りましたか? 100万人を超えたでしょう。数的に言えば祖国解放伝送で中国の軍人が朝鮮の軍人よりももっと多かったでしょう。なので、単独で得た勝利とは言えないでしょう」  同宿生は二の句を継げなかった。一方私は、言ったことを後悔した。  私は北朝鮮にいたとき、西洋の自由主義を扇動したり、自分の思考方式や政治的見解を人々に強制しなかった。私はもともとそんな人間ではなかったし、北朝鮮にいる時は言動を慎重に管理しなければならないことを心得ていた。  しかし人々が私に意見を求めるとき、私は誠実さを重んじるため、自分の考えを礼儀正しく伝えた。しかし北朝鮮という国では誠実な人々が生存するのは不可能だ。私はそれを反省し、同宿生との対話を続けた。  彼はわが国オーストラリアの情勢に対し質問を始めた。私は我が国がアメリカの同盟国として、国防をアメリカにある程度任せていることを説明した。  オーストラリアは国土面積が広く人口、そして軍隊が少ない国であるため、政府はアメリカに対する依存性を必然的なものとして見ている。  その状況が生んだ一つの結果として、我が政府は常にイラク戦争などアメリカの不正な戦争に参戦する対価を支払わなければならないと言った。  私はリベラル陣営に属するオーストラリア国民としてアメリカの侵略戦争に参加することを反対しているが、半分からかうつもりで、「我がオーストラリアも朝鮮の主体思想を踏襲し自主性を実践しなければいけない」と冗談めかして言った。  すると興味深そうに聞いていた同宿生は大胆な忠告をしてくれた。 同宿生「オーストラリアも核兵器を開発すればどうでしょうか? そうすればアメリカの奴らから主体を立てられるのではないでしょうか?」  私はすべての国が核保有国となった世界を想像すると、その恐ろしさに体が震えた。そしてオーストラリアが核兵器を開発し、国際社会から経済制裁を受ける姿を思い浮かべた。  私は同宿生に説明してあげたかった。わが国の2つの政党はどちらも、そんな政策をたやすく想像できない。  実際に行おうとしても次の選挙で敗北するだろう。我がオーストラリアの人々は主体(自主性)よりも国際的に高い生活水準と活力のある経済をより重視するためである。私はそれを説明しようとしたが、結局放棄した。
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「士禍」を知らない朝鮮歴史専攻の学生
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