――長年CMを中心に映像を制作してきたとのことですが、今回、初めて映画を作ってみていかがでしたか。
小原:大学卒業後、CM制作会社を経て、28歳の時から28年間フリーランスでやってきました。広告は長くても30分、映画は2時間という長さの違いはありますが、それに対して構えることはなかったです。自分はいわゆる雑食の人間でCMなのかプロモーションビデオなのかドキュメンタリーなのか、敷居がありませんでした。何でもやりたかったんですね。
ただ、広告の仕事でも商品の開発者や生産農家にインタビューする比較的長時間のCMなどは制作していましたので、そういう意味でインタビューシーンの撮影は慣れていましたね。
――映画を制作するにあたり、どのような点に気を付けたのでしょうか。
小原:この問題を目の当たりにして欲しいという気持ちがあったので、スクリーン越しに「残留者の方々に会っている感じ」を出すようにしました。
また、この映画の制作はフィリピンや中国に未だに残る問題の周知が目的なので、問題について知る機会の少ない小中学生でもわかる映画にしたかったんですね。フィリピン残留日本人と中国残留孤児の映像をシャッフルしていく中で、問題の核は日本政府の対応にあるということを浮き彫りにしようと思いました。
ⓒKプロジェクト
チラシも、ドキュメンタリーは数多く登場人物が掲載されるのが普通ですが、それだと難しい印象になってしまうので、デザイナーと相談して、今回は劇映画のようなシンプルなものにしました。今回のチラシはフィリピン残留孤児の赤星ハツエさん一人をフィーチャーしています。
赤星さんは日本人の父親と生き別れていましたが、PNLSCの調査で父親の身元が判明し、2013年に就籍が許可された方です。映画の最初と最後にも登場しますが、赤星さんが象徴となるような群像劇にしたかったんですね。この問題は容易には解決しませんが、映画の中では見た方が「物事が良い方向に動いて良かった」というカタルシスを得られるような構成にしています。
――この映画はある意味政治的なメッセージを持つ映画ですが、そうした作品の監督をすることについて感じていることはありますか。
小原:例えば原発問題などもそうなのですが、僕たちフリーランスのCMディレクターは広告主さんに雇われる立場にあるので、政治的なイシューに関わる活動は自粛するような雰囲気を感じることもあります。でも、自分の職能でメッセージを届けられるのであれば、積極的にやるべき時代だと思いますね。
――次はどのような作品に取り組みたいと考えていますか。
小原:劇映画をやりたいです。戦争、災害など被害に遭った人たちは個人では克服することのできないダメージを負っていますが、そのダメージに対して不思議な力が克服していく手助けになる、というストーリーを考えています。震災で亡くなった人たちの家族が、自分の霊体験を話すことによって浄化されていくという話を読んで思い付きました。前向きになれるファンタジーを作ってみたいです。
――作品に込めたメッセージについてお聞かせください。
河合:『日本人の忘れもの』というタイトルは「70年も日本政府、そして日本人全員がこの問題を忘れているのではないか?」いう意味を込めて付けました。
フィリピン残留日本人の方々はご高齢なのでこれ以上待たせることはできません。問題の消滅を迎えるのではなく、問題の解決が必要なんです。そのためには世論の盛り上がりが必要です。映画に登場する方々をみなさんの力で助けて欲しいと思っています。
河合弘之プロデューサー(右)と小原浩靖監督(右)
小原:今、政治家などの不祥事が世の中を騒がせていますが、この映画には残留者の方々を救済しようとする弁護士、リーガルサポートセンターのスタッフ、国連職員、ジャーナリスト、通訳など多くの方々が登場します。
格好良くない大人が目立つ世の中で、困っている人たちを何とか救いたいと強い意思を持って活動している人たちがいるんですね。サポートする大人を描くことで「日本にはやるべきことをやっている格好いい大人がたくさんいる」ということを小中学生にも知って欲しいです。
多くのドキュメンタリーのゴールは問題を伝えることですが、この映画は問題を伝えて社会を動かすことがゴールです。「映画には社会を変える力をある」という言葉がありますが、この映画で世の中が動くということを証明したい。そのためにも、より多くの方々にこの映画を見て欲しいと思っています。予備知識なしで見てもらえる映画です。
<取材・文/熊野雅恵>
<撮影/鈴木大喜>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。