「契約結婚」をしてみて分かった、日本の結婚制度のヤバさ

婚姻届・離婚届 私事で大変恐縮ではあるが、実は先日、とある女性と婚約をするに至った。その結婚に際して、私と相手はある構想を抱いていた。それは、海野つなみさんが原作を描き、2016年にはドラマ化でも大きな反響を呼んだ作品『逃げるは恥だが役に立つ』で一躍有名になった「契約結婚」によって夫婦になることだ。

トラブルを防ぐために

 私たちが契約結婚を考えた理由は、大きく分けて2つほどある。  まず第一に挙げられるのは、「お互いの気持ちが変わらない保証はない」と考え、結婚生活ですれ違いが発生した際にトラブルを防ぎたいと思ったことだ。世間の夫婦に関して言えば、その大多数が自由恋愛の結果として生涯のパートナーを選ぶ。結婚の文句として「病める時も、健やかなる時も……」というものが一般的なように、他人同士であった両者が永遠の愛を誓って夫婦になるものという風潮がある。  しかしながら、実際のところ世間の夫婦が「病める時も、健やかなる時も、永遠の愛を守っているか」と言われれば、答えはNOだ。お互いの悪口大会で済めばまだマシなほうで、最悪の場合は不貞行為やDVを繰り返して裁判にまで発展して離婚するというケースも珍しくない。令和元年に厚労省が発表した『人口動態統計』によれば、平成30年度の年間婚姻数が58万6481件なのに対し、離婚数は20万8333件だ。3組の新しい夫婦が誕生すると、既存の夫婦が1組離婚している計算になる。  「永遠の愛を誓った夫婦の3分の1以上が離婚している」以上、私たち夫婦も気持ちが変わらない保証はない。そう考えたとき、結婚する前にあらかじめ結婚生活に関する取り決めを契約という形で残しておくことは有効だと考えた。加えて「言った、言わない」と揉めるのはスマートではないので、契約書という形で残したいとも思った。

結婚したら同化を強いるような日本の法律

 もう一つの理由は、日本で一般的になっている「結婚」のあり方にあまり納得できなかったこと。もともと私自身は「結婚アンチ」側の人間であり、その理由は「パートナーの人生に責任が取れないし、自分の人生に責任を負わせたくない」というものだった。  日本の結婚制度をよく整理してみると、夫婦になる二人の人間に対し「結婚している間は一組の人間になれ」と言っているように感じる。基本的に利益も損失もすべて夫婦で分け合い、いかなる時も助け合って生きていけ、と。  しかし、考えてみればそれはおかしな話である。そもそも、いくら夫婦といえども二人は完全に同化しているわけではなく、あくまで独立した二人の個人だ。昨今は共働きや単身赴任も珍しいものではなく、お互いに「個」として振る舞う場面は少なくない。  にもかかわらず、民法の上でいくと「配偶者の扶養」や「お互いの同居」なども義務として定められている(単身赴任などについては、特例として認められる場合も多いようだが)。もちろん、「病める時も、健やかなる時も」相手の面倒を見るというのも含めてだ。  しかし、私たちは結婚しつつも、もっと独立した個人としての尊厳を守れる形での夫婦になりたかった。つまり、愛し合い協力して生計を立てつつも、財産や相手の借金などは共有せず、あくまで個人でいられる体制をつくりたかったのだ。  そのため、なにも契約結婚だからといって「愛がないビジネス結婚か」と問われれば、もちろんそうではない。ただ、「心変わり」に備えることと、「独立した個人としての尊厳」を守ることを踏まえ、二人の間での取り決めを交わしておきたかったのだ。
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結果として効力を発揮しづらい契約になってしまった
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