性に関する”思い込み”を問い直す。『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき』常井美幸監督・小林空雅さんインタビュー<映画を通して「社会」を切り取る23>

©2019 Miyuki Tokoi

©2019 Miyuki Tokoi

 自らの性への違和感と向き合ったひとりの若者の15歳から24歳までを追ったドキュメンタリー『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき~空と木の実の9年間』が、7月24日からUPLINK渋谷他全国の劇場で公開されます。  女性として生まれたものの、自分の性に違和感を持ち続けていた小林空雅(たかまさ)さん。13歳のとき、医師に心は男性/生物学的には女性である「性同一性障害」と診断されます。そして、17歳の時に出場した弁論大会では、700人もの観客を前に、男性として生きていくことを宣言。弱冠20歳で性別適合手術を受け、戸籍も男性に変えました。  78歳で性別適合手術を行い女性となった八代みゆきさん(95歳)、男と女しか存在しないことに違和感を覚え、男性でも女性でもない「Xジェンダー」として、性別の多様性を提唱する中島潤さん(26歳)。様々な人との出会いの中で空雅さんは、改めて自身の性について見つめ直します。そして映画の最後で空雅さんが下した判断とは――。  本作の短縮版として再編集されたTV番組『性別”ゼロ”~本当の自分を探して~』はNHKで放映されると、ギャラクシー賞候補となり、大きな反響を呼びました。  LGBTQやジェンダー、同性婚の問題など、性についての関心が世界中で広がっている今、この映画は、性の違和に苦しみ、それでも自分らしく生きる人々の姿を通して「性別」に限らず、誰もが生きやすい社会にするために必要なことは何かを問いかけます。  監督は、同番組を制作した元NHKディレクターの常井美幸さん。今回は、常井監督とドキュメンタリーの主人公である小林空雅さんに、映画製作の過程や現在の思いなどについてお話を聞きました。

「男」か「女」に悩む子どもたちを取材したい

――2010年に偶然小林さんと出会ってTVドキュメンタリーの取材を開始したとのことですが、LGBTQいう言葉が普及していない頃、性別が一致しないことに悩む子どもたちを取材してみたいと思ったのはどのような理由だったのでしょうか。 常井:性同一性障害という言葉自体は当時私も知っていましたが、子供の問題と結びつけて認識していなかったんですね。
常井美幸監督

常井美幸監督

 ところがその問題を知って、人格形成の根幹である性別が揺れている子どもたちにとって「男女」の区別を強いられる学校生活はどんなに辛いものなのかと感じたんですね。私自身、小中学校の頃は友だちの輪に入れず悩んでいたので、辛さを抱えている子どもたちへの共感がありました。  その時、学校における未成年者の性同一性障害の辛さについて取材してみたいと思いました。それで取材対象を探していた時に人から紹介してもらって出会ったのが小林さんだったんです。 ――小林さんは常井さんの申し出に対してどう思いましたか。 小林:申し出を受けたのは15歳の夏でしたが、既に取材を受けた経験はあって、またそういう話が来た、という感じでした。特に感情が動くことはなかったです。ちなみに、校内の毎年開催される弁論大会に出ていたのですが、そこで性同一性障害について話しました。優勝者2人が出場できる市の大会は3回、県大会は2回出場し、1、2年生の時には市の大会で優勝していました。 ――取材に対して抵抗はなかったということでしたが、世の中に知ってもらいたいという気持ちがあったのでしょうか。 小林:取材に対して抵抗はありませんでした。一方で、敢えて知って欲しいという気持ちもなかったです。ただ、知りたいのであれば協力するというスタンスでした。 常井:初めて会った時、顔と名前を出すことを OKと言ってもらえたんですね。当時小林さんが言っていたのが「自分と同じ思いをしている子供たちがいるので、その子達の辛さを軽減できるのであれば協力します」ということでした。  当時の小林さんは今のように自分のことをきちんと表現できるわけでもなく、あどけなさが残る、そして少し暗い感じの子供でした。しかし、拙いながらも自分のことはきちんと表現したいという意志を感じました。その時、小林さんを取材したら小中高生たちの辛い状況を変えられるかもしれないし、学校の意識も変えられるかもしれないと思ったんです。そこですぐに取材のオファーをしたのが、このドキュメンタリーの始まりでした。

自然体で居場所を探して

――映画では小林さんが10代の若者とは思えないほどにしっかり自分の問題と向き合っていると感じました。今までで一番自分の中のハードルを越えたのではないかと感じたのはいつだったのでしょうか。 小林:一番きつかったのは子宮卵巣摘出手術で全身麻酔をしたことです。 全身麻酔の副作用で手術後、2~3日は吐き気が治まらなくて。それを乗り越えた時に一皮むけたと思いました。ただ、最近受けた結石の手術の方が痛かったので「性同一性障害を乗り越えた」という気はしません。
小林さん(左)と常井監督(右)

小林さん(左)と常井監督(右)

――では、常井監督から見て「小林さんが問題を乗り越えた」と感じたのはいつだったのでしょうか。 常井:小林さんは常に自然体です。いつでも「こうしなければ」「こうしたい」というのはなくて、その時その時自然体で心地よく生きていける方法を自然に探しています。私が想像するに、一番辛かったのは自分と出会う前、つまり自分の辛さの原因が何かわからなかった時なのではと思います。 小林:そうですね。 常井:「性同一性障害」という言葉を知ってからは、その違和感を取るために自分ができることを自然に淡々としていました。私が出会った時の空雅さんにハードルや葛藤はなかったように感じます。  ただ、性別適合手術や戸籍変更の前の空雅さんは、男性になること自体が目的になっているのではないかということを感じて、若干の危うさを感じたこともあります。声優になりたいと言っていましたが、男性として生き始めた時にどうなっていくのかなと。 ©2019 Miyuki Tokoi  実際に戸籍は男性になってみて、やはり自分は男性ではないということに気が付いたことがまた大きな転換点だったんだと思います。男性になった自分を100パーセント受け入れられないと認識したところで、またスコーンと抜けた感じがしましたね。  男性として生き始めてやはり男性という生き方も違うということがわかって、そこで本当の自分にたどり着いたというか。そこかゼロ地点だったんだと思います。顔つきも変わって明るくなりました。
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LGBTQのあり方も多種多様
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