――劇中には八代さんや中島さんの他にLGBTQの当事者やアクティビストの方々が登場します。このシーンでLGBTQの方々の生の声を知ることができましたが、その意図についてお聞かせ頂ければ幸いです。
常井:LGBTQと言っても、いろんな方がいるということを描くためですね。ひとりひとりがすべて違いますし、生きていた時代や年齢によっても違います。
小林さんは女性として生まれて戸籍は男性になりましたが、その逆の人も紹介したかったんですね。例えば、八代さんは男性として生まれた後に78歳で手術を受けて女性になりましたが、周囲の理解のあった小林さんのような若年層と事情が異なります。
©2019 Miyuki Tokoi
現在90を越えた八代さんのように、性同一性障害ということも知られていなかった時代の人が、どういう生き方をしているのかということを描きたかったんです。
そして、生まれた性に違和感を覚えて異なる性の生き方をするのではなく、Xジェンダー(性別が男性か女性の2つだけにあてはまらない人)の道を選ぶ人もいます。それが中島さんですね。
また、取材を進める中で性別の問題というのは「家族の問題」であるということがよくわかりました。例えば、ご両親が自分の子どもが「生まれた性と異なる性」を選んで生きていくことを許容できないといったことです。そこで、家族という枠組みの中での葛藤を抱えた経験のある4名の方々にご出演いただきました。
――9年間の撮影期間を終えて、常井監督ご自身の「性」に対する考え方に変化はあったのでしょうか。
常井:取材を始めた10年前は性同一性障害の定義は女性の体を持っているが心は男性、もしくはその逆というものでした。ところが、そこから5年経って男性でも女性でもないという方の割合が増えていったんですね。その時にそもそも私の中での前提であった、人は「男性か女性」に分かれるという認識が違うんだなと思いました。
このドキュメンタリーは「様々な思い込みや既存の枠組みを問い直す」という意図で作っていたのですが、性別に違和感を覚える方々と話す中で、自分自身の中にも思い込みがあることに気付かされました。
――例えばどのようなことでしょうか。
常井:ここに素敵なティーカップがありますが「女子にはたまらない」と思わず口にした時に「あれ?女子でなくてもいいよね」と思ったりすることや、男の人がそんなに好きかと聞かれるとそうでもないな・・・とか。そこで、本当に自分が100パーセントの女性なのかと思ったんですね。
多くの方々と話していくうちに、そうした思い込みが少しずつ外れて自由になっていくことに対して心地よさを感じていました。そして、LGBTQの問題はマイノリティの問題ではないと思ったんです。性的指向もそれを考えるシーンで変わるのかもしれない。そうすると、そもそも「Q」(クエスチョニング・自分の性的指向が定まっていない状態)というカテゴリーも必要ないのではないかとも感じました。いろんな意味で自分も変わっていくプロセスでした。
――本作はLGBTQというテーマについて一般の人々が知る上で貴重な映画だったと思いますが、残念ながら現在の日本では社会的なテーマに深く切り込むような映画は少ないと感じます。日本の映画が多様性を維持していくために必要なことはどのようなことなのでしょうか。
常井:映画の問題ではなく風潮という気もします。日本はシンガポールや中国のように表現の自由に規制がかかった国でありません。でも、本当にみんなが言いたいこと言えているのかと言うとそうではない気がするんですね。
同調圧力という言葉がありますが、お互いに気を遣い合い過ぎて、「こういうことを言ってはいけない」「批判を受けるのではないか」「仲間外れにされるのではないか」というタブーを自分たちで作り上げているのではないかと思いますね。その風潮は、お互いを規制していますし、また同調を相手に期待しているところもあると感じます。まずはそこを変えていったらいいのではないかと。
©2019 Miyuki Tokoi
例えば留学先のイギリスは、自分の意見を言い合う社会でした。議論がヒートアップすれば喧嘩のような状態になりますが、 その議論が終われば一緒にお酒を飲みます。自分の主張と自分に対する評価は違うということなんですね。「自分」と「自分の意見」は切り離されています。
日本でのTwitterによるバッシングなどを見ると、自分と意見が異なると自分が否定されているかのように感じてしまうようなとことがあります。自分と異なる意見を目にした時には、ただ「あなたは自分と意見が違うんだね」といい合える社会になったらいいですよね。
――この映画のあるシーンについても批判があるとのことでした。
常井:性別適合手術の前の「何でそこまで手術したい?」という質問です。
映画を見た方からは、この質問について「小林さんが傷付いているのではないか」という批判もありました。踏み込んだ内容ですが、ドキュメンタリーの製作にとっては必要な質問です。
初対面であればもちろん聞かないですし、小林さんが気を悪くするのであればあのような質問はできません。当時は既に取材開始から5年程度の月日が経過し、小林さんからは「何でも聞いて」と言われていました。その信頼関係があってこそできる質問なんですね。
確かに、何か言うことで人間関係が壊れてしまうことはあります。でも、聞きたいことを聞いたからと言って悪い関係になれるわけではない。そういう感覚が根付けばいいのではないでしょうか。