なぜ小池百合子が圧勝し、安倍政権が長続きするのか?「非常時の指揮官」を打ち破る方法<菅野完氏>

7/17の都知事会見

7/17の都知事会見を行う小池百合子都知事。
東京都のYou Tubeチャンネルより

小池百合子は圧勝して当然

 都知事選挙で小池百合子が稼いだ366万票にものぼる得票数は、都知事選史上歴代二位の成績だという。得票率にして59.7%。次点の宇都宮候補との票差は280万票あまり。確かに「圧勝」の二文字でしか表現のしようはない。  しかしながらこの結果は、当然のこととも言えよう。言わずもがな、目下、日本中がコロナウイルスと戦っている。法で定められている手順に従えば、感染症対策の一義的な責任者であり指揮官であるのは、内閣総理大臣でも厚生労働大臣でもなく、各都道府県知事だ。当たり前のこととして、東京都内におけるコロナウイルスとの戦いは、この数ヶ月、都知事である小池百合子を責任者・指揮官として戦われてきた。その戦績や実績に対する是非は当然あろう。数字だけをみれば、決して彼女は優秀な指揮官とは言えない。  だが、制度が「指揮官は知事である」と定めている以上、都知事の席に座る人間がだれであれ、戦闘が繰り広げられている間、指揮官の一挙手一投足に周囲の耳目が集まるのは当然のこと。やれ「小池百合子がコロナ対策とて記者会見するのは選挙対策だ」だの「小池はコロナを選挙の道具に使っている」だのと騒いだところでせんなきこと。彼女とすれば職務上の必要からそうしているに過ぎず、彼女の一挙手一投足を報道するメディアからすれば「戦闘行為が繰り広げられている最中に、指揮官の言動を報道するのは当然のことではないか」というだけの話である。そして世間の耳目を集めた人が、選挙に圧勝するのも当然のこと。アメリカ大統領選挙もそうではないか。米語でいうところのWar Time Presidentは常に再選される。どの国のどの地域の有権者も原則的には、危機の最中に指揮官の途中交代を望まないものだ。この原則があればこそ小池百合子は勝利したに過ぎない。  なるほど確かに、鹿児島県知事選挙では、小池百合子と同じく「対コロナ戦前線指揮官」である三反園知事が敗れたため、「指揮官途中交代はありえない」の原則は万古不変の原則ではないと言えなくはない。しかし、三反園知事の場合、コロナ禍上陸前から、支持団体への裏切り行為や数々の疑惑などから指揮官としての能力に根源的な疑義をつきつけられていたわけで、鹿児島の場合は「指揮官不在の危機に直面した有権者が、早く指揮官が欲しいという答えを出した」と考えるのが自然だろう。都知事選挙と鹿児島知事選挙の結果を合わせて考えれば、「有権者は“よほどのこと”がない限り、危機の最中での指揮官交代を望まない。その“よほどのこと”とは、スキャンダルなど指揮官本人の資質に対する根源的な疑義もしくは誰の目にも明らかな危機に対する敗戦に限られる。その“よほどのこと”がない限り、有権者は粛々と、危機対応中の指揮官を追認し続ける」という当たり前の話でしかない。  したがって、都知事選挙にせよ鹿児島県知事選挙にせよ、選挙結果をあれこれ分析するのは愚かなことだと言わざるを得ない。新聞や雑誌は、野党の足並みがそろわなかったことや、自民党でさえも小池百合子の処遇に苦慮していることなどを面白おかしく書くだろう。とはいえ、やはり、コロナ危機という背景がある以上、小池百合子であろうとなかろうと、現職に圧倒的に有利な情勢であることに変わりはなく、結果もそう大きくは変わらなかったはずだ。もし、都知事選に負けた側に反省すべき点があるとするならば、「選挙プランナー」なる肩書きをもつ公民権停止中の怪しげな人物が選挙演説の現場でうろちょろするような甘い管理体制であったり、実務能力のない人間が選対本部長をやり自分の売名目的としか思えない意味のない記者会見を繰り返したことであったりという、戦術レベルの話に限定すべきだ。そうしたオペレーションレベルの自分達の無能さに痛烈な批判を加えるのが先決であって、やれ野党共闘がどうの、票の分裂がどうのという戦略面の話で反省したり総括したりしても、意味はない。座組みがどうであれ、「危機の最中の指揮官交代は、基本的にはない」原則がある以上、負けていたのだから。

冷戦、未だ終わらず

 だがこれは「War Time Presidentは常に再選される」「どの国のどの地域の有権者も原則的には、危機の最中に指揮官の途中交代を望まない」のだから、非常事態下の選挙や議会運営で、非執行部側=野党サイドは手をこまねくしかないということを意味するのではない。むしろ、この原則を直視し、この原則が常に自分たちを取り巻く環境を規定していると認識し、この原則を打ち破る方途を見つけることこそが、非執行部側=野党サイドの活路を切り拓くはずだ。  少々古い話ではあるが、55年体制を思い出してみればいい。自民党が政権を維持し続け、社会党が野党の立場に甘んじ続ける結果を40年もの長きにわたって有権者が出し続けたのは、背景に冷戦構造があったからに他ならない。米ソ対立・東西対立という「長く静かに続く非常事態」の最中での指揮官交代を、有権者は望まなかったのだ。しかしながら危機が終われば容赦なく指揮官には交代が命じられる。だからこそソ連邦が崩壊し名実ともに冷戦が終結したわずか3年後に、盤石だったはずの自民党政権は脆くも崩れ去り、政権交代が実現し、55年体制は終了した。  冷戦が終結し世界がパクスアメリカーナ一色で染め上げられるにつれ、日本だけでなく世界各国で政治的混迷が観察されるようになる。米ソ両国それぞれの思惑から支給されていた経済援助や軍事援助が冷戦の終結によって停止したのももちろん大きな要因だが、なによりも各国の有権者があまりにも長きにわたって「パクスアメリカーナを選択するのか、パクスロシアを選択するのか」の二者択一の冷戦思考に馴らされすぎていたことこそが本当の要因だろう。二項対立で物事を考える癖のついた人々に、急に相対的な思考を求めても苛斂誅求というものだ。  幸か不幸か、日本ではこの混迷は長続きしなかった。ソビエト連邦に代わる「パクスアメリカーナを揺るがす対立概念」がどの国よりも早く提供されたからだ。北朝鮮による拉致問題とミサイル問題こそ「新たな冷戦構造」いや「冷戦、未だ終わらず」との印象を日本の有権者に植え付けた代物に他ならない。他国が冷戦とそれにより引き起こされる単純な二項対立の国内政治構造を過去のものとするなか、ひとり日本だけは、ソ連邦を北朝鮮に置き換かえただけの冷戦構造に逆戻りした格好だ。おそらく友人が卒業するなか一人留年し教室に残る高校3年生なら、今の日本の惨めさを理解できるに違いない。
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この二項対立からの卒業
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月刊日本2020年8月号

【特集1】岐路に立つ日本

【特集2】「トランプ以後」の世界

【特集3】「経産省内閣」の正体