神父による児童への性的虐待を描く『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』。被害を訴える男性たちの前に立ちはだかるいくつもの壁。

©2018-MANDARIN PRODUCTION-FOZ-MARS FILMS–France 2 CINÉMA–PLAYTIMEPRODUCTION-SCOPE

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 7月17日より、映画『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』が公開されている。本作は神父による児童への性的虐待事件を追った、実話に基づく作品だ。その注目すべきポイントについて記していこう。

声をあげるためには、ここまでの時間が必要だった

 「君も触られた?」──2014年のある日、40歳の男性アレクサンドルは、幼少時に同じボーイスカウトにいた知り合いからそう尋ねられ、自身が性的虐待をされた事実をまざまざと思いだす。加害者である神父のプレナは今もなお罪に問われてはおらず、あろうことか堂々と子どもたちの前で聖書を教えていたのだ。  アレクサンドルはプレナ神父の過去の性的虐待を告発するため行動を起こすが、最初に相談した枢機卿はその処分に同意しながらも、いつまでも裁こうとしなかった。プレナ神父は表向きには周りから尊敬された評判の良い人物でもあり、その権力のために処分を受けにくくなっていたのだ。  さらに、アレクサンドルには自身の事件がすでに時効を迎えているという事実が重くのしかかる。そのため、彼にはまだ時効に達していない被害者の声が必要だったのだが、協力を求めても関わりそのものを拒む者、自分の人生を卑下しつつアレクサンドルを突き返してしまう者もいた。  何よりもつらいのは、「20年~30年経って、やっと言えた」ということだ。アレクサンドルだけでなく、彼が協力を求める男性たちは、性的虐待を受けたトラウマにずっと苦しんできたにも関わらず、ここまでの長い時間をかけないと、その事実を言葉にすることさえできなかったのだから。
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 中には、思春期の頃に勇気を振り絞って親に打ち明けたことがあっても、協会側から“うやむや”にされて告発まで辿りつけなかった者もいる。さらには、やっと被害者として声をあげるチャンスができたとしても、「何も言いたくない」「思い出したくない」と、申し出自体を断る心理も生まれてしまっている。  「時間が経ってやっと告白できた」のに「時効が成立し得る」というジレンマ、告発のためには自身のトラウマと向き合わなければならないという葛藤、告発することで自身の家族や恋人も巻き込んでしまうという代償……そうした個々人の事情が、告発までの障壁になっていく。それでも、“正しいこと”をするために、彼らは友情にも似た結束を固め、強大な権力を持つ加害者を罪に問おうと試みる。そのために周到な準備を重ねていくことになる彼らの姿は、希望にもあふれていた。

3人の騎士が戦う物語

 本作では3人の男性それぞれの言動を、ザッピングしながら見せていくという構成が取られている。アレクサンドルは妻と5人の子どもたちにも恵まれ真っ当な人生を送っているが、最初は関りを拒んでいたフランソワは少し粗野なところもある人物で、工事現場で働いているエマニュエルは「俺には何もないんだ」と涙ながらに人生を卑下している。それぞれが「こういう人いるなあ」と身近に感じられる、なんとも人間くさい人物となっている。  特に、長年トラウマに苦しんできたからこそ自己肯定感が欠如しているエマニュエルの姿を見て、胸を締め付けられる方は多いだろう。彼を演じたスワン・アルローによると、彼はセクシュアリティが発達する前に性的虐待を受けており、傷つけられた男らしさを、 ピアスや口髭、バイク、革の服などの男性性を象徴するものを身につけることで補っているのだという。彼の“腐れ縁”な恋人との関係や、息子を見守っていただけで戦わなかったことを後悔している母親の姿にも、身につまされるものがあった。  また、クセの強い性格のフランソワは、告発の準備における会議において、世間に問題を知らしめるための、とある過激な手段を口にしたりもする。当然、周りから「それはやりすぎだ!」とたしなめられるのだが、彼の妻は「私は面白いと思うわと」その意見に賛同したりもしている。この例に限らず、誰かに指摘されていないと個人の意見が間違いだと気づけない、被害者側が行き過ぎた言動をしてしまうということは、全く珍しいことではないだろう。
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 なお、実際の被害者たちの経験や証言が忠実に映画で提示されている一方で、彼らの特徴は3人の男性それぞれに統合または変更された他、周囲の人々やその反応は自由に描かれたのだという。つまり、事実をドキュメンタリー調にそのまま提示するのではない、フィクション性も強い内容になっているのだ。これにより、観客は自分に似た人物に自己投影がしやすく、構成としても見やすくなり、親しみやすさも格段に増した内容になったと言えるだろう。  また、フランソワ・オゾン監督も、本作の主題は「3人の騎士が戦いに出る」ことであると語っている。それぞれ違った性格で、異なる人生を送ってきた3人の男性は、決して正しいだけの人間ではなく、それぞれが極端な考えを持っていたり、内面に問題を抱えていたりもする。しかし、彼らが団結することで、彼らは告発に向けての“正しい”騎士として前に進めるようになるのだ。
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映画だからこそ、世論に大きく働きかけることができる
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