コロナ禍を機に「弱さ」と「いのち」を大切にした、誰も仲間外れにしない世界に

もっとも大事なことは、「理解する」ということ

対話イメージ これからは対話の時代になると思います。  わたしたちが言葉を使って会話するとき、当たり前のように「会話」をしていますが、会話は必ずしも創造的な対話になっているわけではありません。  夫婦関係、親子関係、家族関係、友人関係、仕事関係……あらゆる場面での会話がすれ違いや対立になってしまうことがあるのは、本来は創造的な対話が求められている時に、ただの会話の延長で終わってしまいやすいからだと思います。距離が近ければ近いほど、距離感の近さが慣れとなり、対話の質に関する配慮を忘れてしまうものです。  そうした「対話」においてもっとも大事なことは、「理解する」ということです。たいていは「理解する」ことと、「同意すること」が混同されていることが多いのですが、「理解」と「同意」とは異なるフェーズのものです。対話で求められることは相手を「理解する」ことであり、「同意する」かどうかはまったく別物です。  つまり、「同意」できなくとも「理解する」ことができるのです。そうした態度こそが対話の基本となります。わたしたちは、どれだけ相手や他者を理解しようとする努力を行っているでしょうか。  人間関係でもそうですが、その他の生物に対しても「理解する」態度が大切です。個々が「ウイルスとは何か?」としっかり理解しようと努め、感染や免疫などに関して、ウイルスにまつわることをよく理解する必要があります。  繰り返しになりますが、すべてに先立つものは「理解する」ということです。「理解」のうえでいま何をすべきか、自分自身の頭でよく考える必要があります。分からないことはよく人の意見を聞き、自分の頭で考えてよく咀嚼して理解する。  そのうえで、しっかりとした個々の冷静な判断で動いていくことが大切です。「理解ない」行動であれば、命令で動かされる「全体主義」や「管理型社会」へと、「同意」したとみなされてしまうのではないかと思います。

いま、地球全体のシステムが揺らぎ始めている

生命イメージ 2011年3月11日の東北大震災と、それに引き続く原発の事故がありました。自分はこのとき現地へと足を運んで、長い期間医療ボランティアに携わりました。そこでは現代社会が抱える多くのシステム矛盾を見ました。システムは一度動き始めると、止めること自体がかなり困難である、ということも。  自分はこの大きな事件をきっかけに、日本や世界が大きな変化を迎えるのかと思っていましたが、実際には大きくシステムは動かなかったと実感していました。都市の中で夜の明かりは再び煌々と照らされて、もうそこには深い闇など何もなかったかのようになっています。  もちろん、個々人のレベルでは考え方や行動が大きく変化した人も多かったのではないかと思います。自分も、3.11以降に生き方が大きく変わった一人です。  当時は、変化するはずのものが変化しなかった現状に失望していたのですが、今回のコロナ禍の中で分かったことがあります。それは、3.11の原発の事故は、地球全体のシステムが同時に動かないと、もう動かせなくなってしまったものだったのではないかということです。  日本だけではなく、地球全体が同時に変化しないとこの大きなシステムは変更できないほど、あらゆる権利関係や意図は複雑に絡まり合っている。一つの国でも大きな変化が起きるためには、地球規模で切実な何かが起きて動かないと変化しない、ということです。それほど、あらゆるものは複雑な関係性で蔦のように絡まりあい、もつれた糸球は容易にはほどけなくなっています。  2020年のコロナ禍により、わたしたちは「生きる」ことの根本を切実に考えるようになったのではないかと思います。そして、その動きは地球規模のものです。わたしたちは生きることにおいて果たして何が大切なのだろうか、と改めて問い直す時間を与えられているとも思います。 「生命への真の理解」の道筋のため、地球全体のシステムが揺らぎ大きく変化しています。新しい平衡状態が社会に定着するためには、今から10年くらいはかかるのかもしれません。  辛い時、困っている時は、視野が狭くなりやすい。そうした時期こそ広い視野を持って、個々が現在の状況を理解し続け、判断し続けながら、考えることを放棄せず、個々が次のシステムへとしっかり準備しながら動き続けていく必要があるのだと思います。変化に抵抗するよりも、変化そのものになるように。
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「生きている」という事実だけで全員に存在理由がある
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