「特例法」の存在が医療現場に投げかけるもの――脱病理化と医療化
次に、特例法と特に精神医療との関りだ。アメリカ神経精神医学会が出版し、日本の精神医学の指標ともなっている『精神疾患の診断・統計マニュアル』(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)の第五版(2013)、通称「DSM-5」では「性同一性障害gender identity disorder」の代わりに「性別違和gender dysphoria」という言葉が用いられるようになった。
「性別違和」は「臨床的問題としての不快」 と記述され、「精神疾患」というレッテルも見直されている(もちろん精神疾患全般のレッテルを見直す必要があることは言うまでもないがここでは割愛する)。2018年には、WHOが改訂した「国際疾病分類」(ICD-11)において「性同一性障害」は「精神疾患」から外され「性の健康に関連する状態」に分類されることとなった。
このような事実からトランスジェンダーの「脱病理化」が果たされたと指摘する識者や当事者は少なくない。しかし、依然として精神疾患の書物であるDSMにトランスジェンダーのありようが記述されているし、その特例法の記述内容をガイドラインとしつつ「特例法」は制定され存続している。「性同一性障害」という既に国際的には存在しない精神疾患の名前の診断に基づかなければ、国内では戸籍の性別変更が認められないことも事実なのだ。概念として変わった事象が、必ずしも現場を強く変化させるわけではない。
私が出会った医師もこのようなトランスジェンダーの人々をめぐって数十年に渡って体制化された医療規範、特に精神医療の規範に素朴だったのだと推察される。脱病理化がすすめられたとしても、特例法のような規範の存在がある限り、当事者のQOLについて医療現場とより良く対話ができるといった意味での「脱医療規範」は果たされない。
また、筆者は精神医学を専門としている精神科・心療内科と性のことを専門としているジェンダー・クリニックとの間の溝に対しても、「脱医療規範」の観点から危惧を抱いている。確かに、今回私が救急搬送されたのは私の精神疾患によるものだったが、もしこの病院にWHOが定めるような「性の健康に関連する状態」に詳しい精神科医ないしその専門家がいたら私の処遇は異なっていたのではないか。
私のような緊急時ではなくとも、精神科・心療内科とジェンダー・クリニックを行き来する当事者は少なくない。性的マイノリティ(弱者)という立場は社会的貧困を生み出すだけではなく、心をも蝕む。他者に自らが望む性を語れない、表現できない苦しさから、精神疾患を同時に抱え込むケースなどがある。
しかし、精神医学、臨床心理学とジェンダー、セクシュアリティについての医学的知識を兼ね備え、かつ包括的サポートを行うことのできるような医療機関は殆どない。
当事者の心のケアをしつつ、様々な観点から当事者の性をケアすることのできる現場づくりもまた今後のトランスジェンダーの人々をめぐる医療との対話、「脱医療規範」の第一歩だと考える。