「ネット中傷」対応策で運営会社の責任問題より、「発信者情報開示」簡素化を優先させる総務省案の不気味さ

SNS運営会社はパブリックスペースの運営者として責任を果たす時期

 ただ、民間企業であるSNS運営会社が適切な管理を行えるかという懸念はある。たとえば過去に菅野完氏のツイッターアカウントが機能制限(発言やRTができない状態)を受けた際にはその理由についての説明はなく基準は不明だった。(編集部追記:つい最近も、ヘイトスピーチやフェイクニュースを流すアカウントが放置される一方で、反ヘイトスピーチ系や政権に批判的なアカウントが唐突に閉鎖される事態になり、6月6日には京橋のTwitter本社前で抗議行動が行われた)。他にも理由が不明確である事例が散見される。他のSNS運営会社でも同様の事態は起きている。フェイスブックがベトナム戦争の報道写真を削除した事件はあまりにも有名だ。(参照:”菅野完さんがTwitterで「1週間発言できない」事態に… 本人が語った疑問。”|2017年7月13日、バズフィードジャパン、”著作権侵害していないのに…Twitterアカウントが突然凍結 対応の難しさも”|2020年2月28日、ABEMA TIMES、”フェイスブックがベトナム戦争の報道写真”ナパーム弾の少女”を次々削除…そして批判受け撤回”2016年09月12日、ハフポスト)  しかし、現時点ですでにSNS運営会社は自社の独自判断でアカウントの凍結や投稿の削除を行っているものの、その姿勢には批判も多い。そのような状態では彼らに責任を持たせても持たせなくても事態は変わらない。むしろ法令によって説明責任と権限の制限を加えることで透明性を高め、違反した場合には罰を与えた方が健全だろう。パブリックスペースの運営者としての責任を果たしてもらう時期になっている。  イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは著書『ホモ・デウス』にこう書いた。 「ヨーロッパの帝国主義の全盛期には、征服者や商人は、色のついたガラス玉と引き換えに、島や国をまるごと手に入れた。二一世紀には、おそらく個人データこそが、人間が依然として提供できる最も貴重な資源であり、私たちはそれを電子メールのサービスや面白おかしいネコの動画と引き換えに、巨大なテクノロジー企業に差し出しているのだ」  私たちはいつまでもSNS運営会社が与えるガラス玉に喜んでいるわけにはいかない。公正なルールを彼らに要求すべき時期はとっくに過ぎている。

人権侵害を被害者個人の負担で解決させるようにしてはいけない

 人権侵害に苦しむ人が自分自身で対処しなければならないのは難しい。プロセスを簡便にするという話ではなく、スタート地点から考えなおさなければならない。  これまでは人権侵害の被害者自身に資金や時間を負担させてきたものを、本来責任を持つべきSNS運営会社に責任ある対応を法的に義務づけ、監督官庁がしかるべき指導を行う時期に来ている。  日本は人種差別撤廃条約に加盟しているが、直接差別も間接差別も禁止する包括的な人種差別禁止法の採択と、パリ原則に従った広範な権限をもつ国内人権機関の設置を留保している。国連人種差別撤廃委員会からは改善を求められている。 ●国連人種差別撤廃委員会は日本に何を勧告したか(2018年11月、一般財団法人 アジア・太平洋人権情報センター)  今回のような人権保護のための施策は、移民の増加や国際化の進展を考えると日本における人権保護のあり方を見直し、よりよい方向に是正してゆくきっかけになると思う。  また効果的な対策には触れずに安易に発信者情報開示を簡便にする今回の総務省案からは、単に発信者を萎縮させたり都合の悪い発信者を特定しやすくしたりする裏の目的が透けて見えるようで気味が悪い。 <文/一田和樹>
いちだかずき●IT企業経営者を経て、綿密な調査とITの知識をベースに、現実に起こりうるサイバー空間での情報戦を描く小説やノンフィクションの執筆活動を行う作家に。近著『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器 日本でも見られるネット世論操作はすでに「産業化」している――』(角川新書)では、いまや「ハイブリッド戦」という新しい戦争の主武器にもなり得るフェイクニュースの実態を綿密な調査を元に明らかにしている
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