「トランスジェンダー」は何を意味するのか? ――トランスジェンダーという言葉をよりよく考えるための試論――

古怒田望人

筆者の古怒田望人さん

「トランスジェンダー」理解の曖昧さ

 「トランスジェンダー」という言葉を耳にしてあなたは何を想像するだろうか。日本で「オネェタレント」と呼ばれる芸能人だろうか?サブカルチャーでしばしば取り上げられる「ジェンダーレス」、「男の娘」のようなアイコンだろうか?それとも、NHKのドキュメンタリーで紹介される「性的マイノリティ」と形容される人々だろうか?国内の報道やソーシャルメディアを見る限りでは、どの答えにも曖昧さが残る。  こう言ったトランスジェンダー理解の曖昧さに対して「心の性と身体の性の不一致」がトランスジェンダーである、という便宜的な定義がしばしば用いられる。しかし「身体の性」が、生物学的、医学的に見て、ホルモンの水準で見るのか、染色体の水準で見るのか等で変動しうると指摘されていることからも、この定義の内容自体が曖昧さを含んでいる。例えば、形態学的に外性器が男性だったとしても、女性のホルモン分泌量が過剰に多い場合「身体の性」をどのように定義したらよいのだろうか。  そこで本稿では、「トランスジェンダー」という言葉の意味と現在の医学的な理解の変転を追うことで、この言葉の含意を記述したい。  その記述から見えてくることは、議論を先取りすれば、「トランスジェンダーが意味することの一つ、それは、それぞれ度合いは個々人により違うとはいえ、生まれた時に与えられた性別、あるいは身近な人々や社会から要求、期待される性のありように違和を感じるありかた」だということである。この記述を通して「トランスジェンダー」の意味を事実理解や定義から説明するのではなく、その意味が常にここでなされるように語りなおされ、再考される必要があることを以下で見てゆきたい。

「ジェンダー」とは?

 今、しばしば用いられている「ソーシャルディスタンス」という言葉もそうだが、日本人はカタカナ英語を多用し、あまりその言葉の意味を語源にまでさかのぼって考えることは少ないように感じられる。そこでまず、「トランスジェンダー」の「ジェンダー」という言葉が何を意味しているのか、その言葉の英語語源から見てみたい。  「ジェンダー」に関わる問題を「他人事」としている方々が多い。冗談ではない話なのだが、私の友人が「トランスジェンダーなんです」と知人に打ち明けたところ、翌日から「ジェンダーさん」というあだ名が付いたという話がある。つまり、自分たちは「ジェンダー」に関係がないということなのだ。しかし、内実は異なる。  「ジェンダー」は、元々ギリシャ語で「種」とか、「類」とかを意味する「ゲノスgenos」という言葉に由来している。この語源を参照しつつ、FTM(female to male)トランスジェンダー当事者でアメリカの哲学研究者のエフライム・ダス・ヤンソンは、ドイツ語で「ジェンダー」を意味する「ゲシュレヒトGeschlecht」が男らしさ、女らしさといった「生物学的な性別に関する社会的な期待」だけではなく、「階級、人種、社会経済的な立ち位置、肌の色、あるいは体重や性的な魅力」をも含意すると述べている(※1)。  すなわち「ジェンダー」という言葉はそもそも、狭い意味での「女/男」という誕生時に医学的、生物学的に与えられる性別sexに限定されるものではなく、人間を社会的に類別するような、「階級」や「人種」といったカテゴリーを伴っているものなのである。「ジェンダー」は、男や女という記号に付随する社会的な条件や問題を含んだ性全般についての言葉なのである。  講義でこのジェンダーの意味について理解してもらうために、「アメリカ北部の女性とアメリカ南部の女性がいるとします、どちらが有色人種に対して非差別的だと思いますか?」と学生に尋ねることがある。多くがこの情報だけだと、「アメリカ北部」と答える。しかし、もし北部の女性が金銭的に恵まれない環境におり(階級)白人階級(人種)で、逆に、南部の女性が富裕層であり、かつ同じ有色人種である場合、後者の方がより有色人種差別への批判的な観点を取り入れることが容易だと推察される。ジェンダーは「女であるか、男であるか」という単純な問いのみでは理解することができず、それぞれが置かれている「階級」や「人種」といった社会的条件を多分に含むものなのである。  トランスジェンダーの人々が直面している「ジェンダー」の問題は社会の内にあるどのような人々も、自覚的にでも、無自覚的にでも、直面している問題なのだ。トランスジェンダーという言葉が含む問題は、ジェンダーに違和を感じる全ての人々と境を接する問題なのである。
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性同一性障害から性別違和へ
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