――この物語に登場する加害者の少年たちには、「人を殺す」ということのリアルさがないのではないかと感じさせるシーンがありました。内藤監督は教師をされていましたが、その頃の経験から着想を得た部分はあったのでしょうか?
内藤:やはり、そういう部分はありましたね。特別支援学校の高校生をメインに教えていましたが、健常者の生徒さんも教えていました。知的障害も軽度のものから重度のものまで様々なタイプの生徒さんがいたのですが、やはり、主人公の絆星のような衝動を押さえられない子はどの層にもいました。「暴力を振るってはいけない」と理屈で教えたとしても本人は自分を止められないのではないかと。そういうお子さんはたくさんいると感じています。
また、頭に来ることの沸点が異常に低い子もいました。「これで切れちゃうの?」という感じです。例えば、授業中に落書きをしていたことについて「こんなところに書いちゃダメだ」と優しく注意しただけで、怒って机を蹴飛ばして教室を出ていきました。その行動に至るまでに彼の中で積み上がってくるものは何か、という疑問は常々持っていましたね。
――いじめや非行に走ってしまう少年の特徴に「夢や目標がない」ということが挙げられるかと思いますが、この点についての描写もありました。
内藤:小学校高学年から中学生にかけてエネルギーが有り余っている時期に、勉強はもちろん、スポーツや趣味にエネルギーをぶつけることができずに、いじめや非行に走ってしまう子たちは確かにいます。
でも、周りの大人たちがその子を「どうしようもない子」とレッテルを貼って思考停止になったのでは問題は解決しません。いかにしてその衝動を正しい方向に導くかが大切なんですね。
――いじめの実態の把握も難しいのではないでしょうか。
内藤:学校ではいじめについての調査がありますが、いじめがないと報告した方がその学校の評価は上がります。そうすると学校側は必然的にいじめを隠蔽しがちになります。
むしろ子どもをしっかり見ている先生や校長先生であればいじめを発見できるし、そちらの方が子どもをきちんと見ていると評価できるはずです。後々はその方が学校のためになるんですね。でも、隠しがちになってしまうという現状があって、その点については改善すべきではないかと考えています。