新型コロナ禍で再び弱さを露呈する日本の科学報道

「王様は裸だ」と言えない日本のジャーナリズム

 日本の科学ジャーナリズムが自分たちの力で「王様は裸だ」と言えないのはなぜだろう。  一つは、権威にとても弱いことが挙げられる。学会幹部や、その分野で権威ある教授らの発言が理解できなくても、問い質しきれない。「PCR検査を抑えると感染拡大が防げる」という、世界標準からかけ離れた日本の権威者たちの理屈を、鵜呑みにし、垂れ流した。  東電福島原発事故の際、建屋の爆発を「爆破弁だ」とコメントした東大教授や、「ニコニコしている人には放射能は来ない」と講演で述べた日本甲状腺学会理事長らが、メディアで重用されていた姿が思い起こされる。  もう一つは、エリートパニックに、マスメディアも一員として加わっていることがあるだろう。エリートパニックとは、「一般の人が災害時にパニックを起こすのではないか」と、エリートたち自身がパニックを起こすことだ。検査を拡大すれば、それを求める人が病院に殺到してパニックを起こすという専門家ら説明に、記者たちもひっかかった。あるいは、自分たちの報道がパニックを引き起こして責任を問われてはかなわない、と抑制してしまったのかもしれない。  これも、原発事故直後に、福島市内で通常の500倍レベルなど高い放射線量が検出されていたのに、「健康影響ないレベル」と記事に書き、一方で記者たちは数十万人の住民がまだ残っている福島県の沿岸部からいち早く避難していた状況を思い出す。

福島事故報道から進歩できるか

 「実際の現場の声よりも、政治家の声を優先して伝えてしまっていることに危機感をもっている。お上のお墨付きがないと、今がどういう状態なのか、判断できない」(全国紙の新聞社員) 「記者勉強会で政府側から「医療崩壊と書かないでほしい」という要請が行われている」(新聞社・通信社社員)  日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が2月下旬から実施したアンケートで、コロナ報道を巡ってすでにこんな声が出ている。  ジャーナリストたちは、原発事故につづき、また、「大本営発表」依存に陥り、政策ミスに加担して救える命も失ってしまうのか。それとも自分たちの取材に基づき自分たちの責任で発信していけるのか。コロナ禍で、これからが正念場となるだろう。 <文/添田孝史>
サイエンスライター。1964年生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。1990年朝日新聞社入社。97年から原発と地震についての取材を続け、2011年に退社。以降フリーランス。東電福島原発事故の国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当した。著書に『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判-福島原発事故の責任を問う』 (ともに岩波新書)
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