最近の一部スポーツ新聞の論調にも苦言を呈しておきたい。一例を上げると
4月19日付けのデイリースポーツである。
同紙は『
大阪自民議員が大炎上…吉村知事らの国難対策を批判し、秒殺される 「謝れ」酷評殺到』という見出しの記事を掲載したが、これは
吉村知事のツイッターを右から左へと垂れ流しただけで当事者への取材すらない。
詳しい内容は記事を読んでもらうとして、
デイリーが見出しに掲げる「秒殺」は、あまりに吉村知事に肩入れした、一方的かつ印象操作でしかない。記事中にある「バッサリと斬り返された」という表現も、それぞれのツイッターをよく読み、当事者にちゃんと取材して中身を検証していれば安易に出てこないものだ。槍玉に挙げられた自民党議員と吉村知事の主張が噛み合っていないことなどすぐわかるだろう。
他のスポーツ紙も似たりよったりで、昨今は大半が
知事のツイッターを下敷きにして記事を書き、それらしい見出しを付けている。だが、いずれも検証や取材もナシ、おまけに吉村知事へのヨイショが随所に満ちあれている。これではかえって知事本人も迷惑だろうし、逆に贔屓(ひいき)の引き倒しになりかねない。
メディアに映る印象だけで国家のリーダーを判断する危険性
人の心理として特定の政治家に人気が出るのは当然だ。だから選挙が成立するわけである。とは言え、AKBの人気投票とは違うのだ。確かに、コロナ問題のような世界的な危機的状況にあっては、誰しも政治家の力強い言動に目と心を奪われがちだろう。しかし、
メディアに映る政治家や行政トップを表面的な印象だけで判断し、「未来の総理大臣に」などと持てはやすのは危険だ。先述したように、
その人物が将来の国家的リーダーになるか、はたまた独裁者になるかは時間が経つまでわからないからだ。
私たちにできることは、どのような政治家であれ危険な予兆があるかどうかを前もって探る以外にない。そのためには、その
政治家や行政トップがこれまで実行してきた政策の中身を時間を追って精査し、日ごろの言動などから内面に潜む思想信条を見極める必要がある。
ただ、言うは易しでこれは難しい。一部の政治マニアか時間に余裕のある人くらいしかできない作業かもしれない。しかし過去に日本人が体験した悲惨な過ちを繰り返さないためにも、その努力を怠ってはいけない。これが
民主主義国家に生きる国民の責務だと思わなければいけないだろう。
最後にひとつ。
本当のリーダー、ヒーローは目立たぬ場所で誰の称賛も浴びずに黙々と仕事をしているものだ。私たちが気がつかないだけで、そのような人は案外、すぐ近くにいる。
一部の政治家だけにスポットライトが当たって影の部分が多くなる社会など不健康きわまりない。地味でも真面目に活動する人が称賛される、そんな健全な社会で日本はありたいものである。
<文/吉富有治>