一方の香港では、根強く続いている
大陸人差別が新型コロナウイルスへの怖れで収拾がつかない。
香港の大陸人差別はナチュラルに蔓延している。香港に行ったら試してみればいい。レストランでもタクシーでもいい。片言でかまわないので、北京語で話しかけて、それから英語に切り替えてみてほしい。途中で日本人だと明らかにするのでもいい。完全に態度が変わるのを身をもって知ることができる。香港では広東語以外をしゃべる中国人はよそ者であり、田舎者ということである。そして香港の民主派の若者にとっては敵である。
香港で民主化運動が、元からあった大陸人差別と密接な関係があるというのは否定できないことだろう。香港のインターネットには「支那」という言葉が頻発する。これは日本人が使っていた侮蔑的ニュアンスがある中国の俗称をそのまま使ったものである。自分達が中国人ではないという強い排他的ナショナリズムが憎悪としてあふれ出している。
もちろん中国政府による民主化に対する弾圧は由々しきものだ。香港の人達が生存をかけて戦うのは理解できる。しかし、彼らの差別意識で香港の大陸人はひたすら迫害をうけているのも事実である。大陸人への暴行や傷害事件は、昨年の香港民主化運動の間、いたるところで頻発していたことは知る人ぞ知る話である。
「
あなた自身を非大陸人化しなければならない、病気と同じように」
ロイター通信が伝える香港の民主化運動に参加している大陸人学生の話は衝撃的だ。
本国の中国政府に知られないように、香港で民主化運動に参加していた学生がネットでFacebookで投げつけられた言葉だ。この新型コロナウイルスによって、いかに民主化運動が大陸人差別に密接な関係があるのか。この民族浄化のような書き込みは象徴している。大陸人の香港民主化運動の参加者はいう。「彼らは大陸人は人間ではなく、死ぬべき存在だと思っている」「広東語の発音を間違っただけで危険が待っている」
しかし、その香港から程近い中国の広州では、
コロナウイルスの海外からの逆流入を恐れる人々によって、黒人差別が行われているとも伝わってきている。
少数派や弱いものは常に迫害される。どこの世界でも伝染病は差別の構造は遍く繰り返されている。
スーザン・ソンタグは、かつて『
隠喩としての病い』という評論を書いた。いかに現代の病が本来の疾病を超えた過剰な意味をもっているかを記号論的に読み解いた論評だ。結核や癌といった病気は不治の病として社会的に扱われ、様々な意味をもってきたか。
この論評は大きな評判を呼んだが、その理由は、筆者自らが癌で闘病中に書いたからである。
”
病気に対処するには―最も健康に病気になるには―隠喩がらみの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗することが最も正しい方法である”(出典:『
隠喩としての病い』スーザン・ソンタグ(みすず書房)
この言葉は、伝染病にも言えることだ。健康的にパンデミックに対処するために
「隠喩と神話」は必要ない。
加藤茂孝・元国立感染症研究所室長は、現在の日本が「致死率だけでは説明できない心理的パニックをCOVID-19が引き起こしている」という。
”
スペインかぜは、世界的な患者数が世界人口の25~30%(WHO)に達したといわれ、致死率(感染して病気になった場合に死亡する確率)は2.5%以上、最大の推計値で世界で5000万人、日本だけで48万人亡くなったといわれている。そこまでの死者が出るとは思わない。
(中略)
不安感が高まると、ペスト流行時の欧州のような混乱が起きるかもしれない。感染の原因になった人や事象を探し出し、それを攻撃するようなことが起こりうる”(参照:
新型コロナの〝21世紀型パンデミック〟におびえる世界|wedge)
アルベルト・カミュの小説『
ペスト』の主人公は言っている。
「
ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」
健康的に伝染病のパンデミックに対処するための誠実さ。私たちに今求められているのはそれである。
<文/清義明>
せいよしあき●フリーライター。「サッカー批評」「フットボール批評」などに寄稿し、近年は社会問題などについての論評が多い。近著『
サッカーと愛国』(イーストプレス)でミズノスポーツライター賞、サッカー本大賞をそれぞれ受賞。