「総理、これ会見と呼べますか」と問いかけた記者が語る、沖縄メディアの「覚悟」の根源<阿部岳氏>

表現の自由を勝ち取った沖縄

ルポ沖縄 国家の暴力 書影 ―― 阿部さんは『ルポ沖縄 国家の暴力』(朝日文庫)で、ヘリパッド建設が強行された沖縄の高江の様子を描いています。高江では記者が不法に拘束されるといったことも起こっています。官邸記者クラブの記者たちは阿部さんのように国家の暴力を体験したことがないから、権力の恐ろしさがわからず、生ぬるい記事ばかりになるのだと思います。 阿部:確かに物理的な暴力にさらされながら記事を書いているという点では、沖縄の記者は例外的かもしれません。しかし、権力から圧力をかけられているのは官邸の記者たちも一緒です。ただ、彼らの場合は沖縄と違ってソフトな形で圧力をかけられているので、見えにくいのだと思います。たとえば、官邸が東京新聞の望月衣塑子記者を排除するよう求めるような文書を出したことがありましたが、あれもソフトな暴力と言えるでしょう。  権力から圧力をかけられれば、それをはねのけ、元の場所まで押し返す。それも記者の仕事です。記者は取材相手のことを第一に考えるのではなく、読者や視聴者のために何が一番大切かということを考えながら記事を書く必要があります。 ―― 沖縄が米軍の統治下に置かれていたころ、沖縄のメディアも米軍に支配されていました。しかし、沖縄のメディアはそこから一歩ずつ表現の自由を獲得していきました。東京のメディアにはそうした経験がありません。その違いも大きいと思います。 阿部:戦後の琉球新報は米軍の機関紙として出発しました。沖縄タイムスは民間の新聞でしたが、紙やインクの供給を米軍に握られていたので、やはり米軍に従うほかありませんでした。そのため、たとえば1959年に米軍機が石川市(現うるま市)の住宅地と学校に突っ込み、児童を含む多数の市民が亡くなったときも、タイムスの社説は「不可抗力なできごととはいえ(略)残念なことといわなければなるまい」、「ムリな注文と考えずにこの点(民間地上空の訓練中止)を配慮してもらえば」としか書けなかったのです。  しかし、その後も米軍による事故や事件が続発したため、住民から怒りの声があがります。それに背中を押される形で、沖縄のメディアも米軍に対して厳しい論調を向けるようになり、少しずつ表現の幅を広げていったのです。  つまり、沖縄の表現の自由は人々が闘い取ったものなのです。日本国憲法とともに空から降ってきた本土の表現の自由とは、根本的に成り立ちが違うのです。  もちろん私が沖縄の新聞に属しているからといって、私自身が表現の自由を勝ち取ってきたわけではありません。しかし、そういう先輩たちがいたことは常に意識していますし、誇りに思っています。だから表現の自由を脅かす動きには敏感でありたいと思っています。

記者は世の中を変える覚悟をもって記事を書け

―― 阿部さんは『ルポ沖縄』に、記者は世の中を変える覚悟をもって記事を書くべきだと記しています。日本の記者たちは今まさにその覚悟が問われています。 阿部:なぜ記者が記事を書くのかといえば、世の中の矛盾や問題点を変えたいからですよね。本気で変えるつもりがあれば、力のこもった文章になりますし、取材のやり方も変わってきます。自主規制することだってなくなります。  そもそも記者というのは野蛮な仕事なのだから、自主規制などせず、ガンガン取材するべきなんです。実際に取材してみれば、心配するようなことは案外起こりません。むしろ志を同じくする仲間がたくさんいることに気づくはずです。若い記者たちにも、あまり怖がらず、記者として当たり前のことをやろうよと伝えたいですね。 (4月3日、聞き手・構成 中村友哉) 阿部 岳(あべ・たかし) 1974年東京都生まれ。上智大学卒業後、97年に沖縄タイムス社入社。政経部、社会部、整理部、辺野古や高江をカバーする北部報道部を経て、現在編集委員。著書『ルポ沖縄 国家の暴力――現場記者が見た「高江165日」の真実』(朝日新聞出版)で第6回日隅一雄・情報流通促進賞奨励賞を受賞。
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。
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月刊日本2020年5月号

【特集1】コロナ以後の世界
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