「最後の農民一揆」の今を追う――映画『三里塚に生きる』

三里塚に生きる

飛行機が行き来するそばで、今も農民が汗を流す(映画『三里塚に生きる』より)

 成田空港の建設着工当時、国の一方的な方針に地元農民らは激しく抵抗した。今、ほとんどの農民は反対運動から身を引いたが、一部の農民は今も土地を売らずに農業を続ける。「最後の農民一揆」と呼ばれる関わった農民たちの今の姿を、過去の記録映像を交えて捉えたドキュメンタリー映画「三里塚に生きる」(監督:大津幸四郎・代島治彦、2014年日本、カラー140分)が公開されている。

今も完成しない成田空港

 「三里塚」。ある年代以上の人にとっては、成田空港の建設地を表すこの地名に「穏やかでない」印象を感じることだろう。  空港建設計画が決まったのは1966年。地元の同意を求めない国の突然の決定に対して、農民はすぐさま反対同盟を立ち上げた。政府は機動隊を前に立てて測量や工事を進めたが、農民も支援の学生や市民とともに激しく抵抗。双方に死者が生じる事態となった。成田空港は1978年に開港にこぎつけたものの、実は今も完成を見ていない。空港の物々しい警備が、その歴史を物語っている。  反対同盟の若者で作る「青年行動隊」は1971年9月、警備の機動隊を襲って機動隊員3人が死亡。世に言う「東峰十字路事件」だが、その1か月後、青年行動隊のリーダーが自殺する。遺書には「最後まで三里塚に生き続けてください」と書かれていた。今も反対をつらぬく農民は「(遺書の言葉を)まじめに受け取るしかねえべ」と話す。  政府が農民との話し合いに転じたのは、計画決定から実に25年後のこと。農民は国にたてつく事で深く傷ついたが、政府もまた非常に大きな代償を強いられた。「ボタンの掛け違い」が大きな禍根を残したのだが、この教訓は、果たして今日に生かされているのか。  飛行機が発着する空港の脇で、今も農民たちは里芋やキャベツ、ニンジンなどを育てている。反対運動はすでに忘れ去られたが、彼らが命がけで守りたかったものは何だったのか。  吉行和子、井浦新ら名優が朗読。NHK朝ドラ「あまちゃん」の音楽で注目を集めた大友良英の奏でる旋律が、心を揺さぶる。 <取材・文/斉藤円華> 映画「三里塚に生きる」公式サイト:http://sanrizukaniikiru.com/ 1月24日より、東京・渋谷アップリンクにて上映。その他のスケジュールは公式サイトにて。