EFA36 / PIXTA(ピクスタ)
大手商社や大手広告代理店の系列企業勤務のエリートサラリーマンから自動車期間工へと転職せざるを得なくなった山田啓二さん(42歳、仮名)。
起業の失敗から日々の生活もままならくなっていた中、借金300万円を抱え、かつて務めた商社の系列自動車メーカーで期間工として3か月間勤務し、100万円は返済できたことは
前回記事で紹介した。その劣悪な職場環境を小林多喜二のプロレタリア文学小説『蟹工船』から「現代の蟹工船」と評した山田さんだったが、残る借金200万円の返済のめどは立たず、再び期間工として働くことを決意した。
「期間工デビューした時は、アベノミクスの恩恵で自動車需要が伸びていたので、人手不足傾向でした。だから40歳を超えていても、すぐに雇ってもらえたんです。しかし、景気の先行きが不透明になり、状況が変わってしまいました。30代ならともかく、40代は期間工でも採用されにくくなってしまったんです」
いくつかの自動車メーカーの期間工採用に応募し、どれも年齢を理由に書類で弾かれてしまった山田さんだったが、とある自動車メーカーの面接に何とか漕ぎつけた。しかし、その面接は元エリートの彼にとって、あまりにも屈辱的な内容だったという。
「かつては人材派遣会社による形だけの面接と健康診断のみだったのですが、その面接ではパリッとしたスーツを着た自動車メーカーの社員も面接官として来ていました。そして、理由も告げられずに“1分間の反復横跳び”を命じられたんです。驚きましたが、どうしても採用されたかったので無我夢中で必死に跳び続けました」
その他にも片足立ち90秒間、イスに座って立つを1分間繰り返す、いくつもの小さなネジを外して締め直す、小学生レベルの算数問題をひたすら解くなどのテストも行われた。
「40代なので恐らく体力や器用さを確認されたのだと思いますが、正直言って悔しいですよ。反復横跳びや片足立ちを無表情で見つめる視線も屈辱でしたが、かつては商社で巨額の先物取引を担当していたのに算数かよって。面接の帰り道は、怒りというか悲しみがこみ上げてきました。唯一の救いは、もうプライドなんて残ってないと思っていたけど、自分にもまだ残っていんだって分かったことくらいですかね」