少女のようにかわいらしく、子どもたちや吉行淳之介氏への愛であふれていた
園生に微笑む「おかあさん」
宮城まり子さんが、自身の誕生日である3月21日に、93歳で亡くなりました。
宮城さんは歌手や女優として活躍し、舞台で脳性まひの子供を演じたことをきっかけに、41歳の時(1968年)に日本で最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立しました。
障害者に対する偏見が大きく、法律や制度もない時代に、「おかあさん」と慕う園生たちのために私財を投じて東奔西走。子供たちの可能性を愛し、コンサートや作品展を国内外で精力的に行ってきました。その「ねむの木学園」も今年の春で創設52年を迎えます。小さかった子どもたちも、学園とともに年を重ねました。
筆者は何度か取材させていただく機会がありました。宮城さんは少女のようにかわいらしい方で、どんな時も園生や人生のパートナーであった作家・吉行淳之介さんへの愛であふれていました。
運動会にて、車いすから降りて子どもたちと演技
毎年秋になると、宮城さん手書きの手紙が届きます。「ねむの木学園」の支援者へ向けた、運動会のお誘いなのですが、学園の日々のできごとやそれぞれの園生の才能、その愛おしさについて綴られていました。長い長いその手紙を読んでいると、まるでノロケ話を聞いているようでした。
「がんばっているこどもたちをほめてあげてください。私にもガンバレって言ってください。甘えさせてください」
とても深い愛情を持った方で、相手の心にコロッと入ってしまうような方でした。
子どもたちに車いすを押されながら、運動会から退場する宮城さん
子どもたちに手を振る宮城さん
子どもたちの作品が展示されるねむの木学園美術館「どんぐり」
数年前にお会いした際、吉行氏のイラストが描かれたポストカードをお渡ししたところ、頬を赤く染めて「見て! 見て!!」とうれしそうに周りの方へ言っておられたのが印象的でした。
吉行氏のイラストの描かれたポストカードを見て、目を細める宮城さん
90歳を過ぎてもなお、子どもたちへの愛と同様に吉行氏への愛も変わらないものだったのでしょう。その吉行氏と、ねむの木学園を始める際に3つの約束をしたそうです。
「愚痴を言わない」「『お金がない』と言わない」「やめない」
その約束を全うした宮城まり子さん。その思いは、子どもたちや学園のスタッフの方々に受け継がれるはずです。どうかこれからはゆっくりとお休みしてくださいね。その思いを継ぐものとして、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
「すべての人・すべてのものに対して常に慈しみの心を注ぐことが、人間として本来の強さである」という学園の理念を表わす宮城さんの言葉。「やさしくね やさしくね やさしいことはつよいのよ」
文・写真/鈴木麦(フリーライター、古代史・老舗企業研究)