以前の庶民の足、「バス」の劣悪さが譲り合いの背景に!?
車内照明が赤っぽいのはシーメンス社製の古い車両で、白が中国製の新しい車両だ
バンコクにBTSが登場したのは1999年12月。つまり、たった20年前の話である。それ以前の大量輸送交通機関と言えば、都内に何百という路線網が敷かれた公共バスだった。エアコンなし、エアコン付きなどいろいろな種類があり、経済レベルによって使い分けることができた。
これらのバスはタイ運輸省に関連した公社「バンコク大量輸送公社」が管理・運営している。一部の路線は民間に委託することもあるようだが、公社直轄であってもバスの運転マナーがひどいというのが、今も昔も変わらない状況である。
バスは運転手と車掌の2人1組で運行される。基本給はあるものの安く、それとは別に、乗客を乗せて切った切符分の何割かが運転手と車掌の取り分として得られる。そのため、できるだけ多くの手当を得ようと大量に人を乗せるし、同じ路線内でも我先にとバス停に向かうため、競走となる。自然、運転マナーが悪くなり、ひどいときには事故も起こってしまう。ちょっとした接触事故ならいいが、死亡事故だってかつてはよくあったことだ。
近年は法で取り締まるようになったのであまり見なくなったが、バス停では急ぐために完全停車しない。そのため、乗客は飛び乗り・飛び降りの必要があった。また、走行中にはドアを閉めずに走ることもしばしば。死亡事故は起こって当たり前の環境だ。
そんなバスに老人や子どもが乗るとまず立ってはいられないし、転倒あるいは転落する可能性もある。だから、バンコクのバスではそういったバス車内弱者が乗ってくると、若い男性らが率先して席を譲り、半ば強引に座らせることが普通だった。
おそらくその習慣が残っていて、電車でも誰もが頭で考えず、身体が勝手に動くように席を譲るのかもしれない。
また、もうひとつ、日本と違う点がある。日本の場合、特に老人の中には席を譲ろうと立ち上がる若者を怒る人もいる。「自分はまだ年老いていない!」という感情なのだろう。タイは譲られる側もその好意を素直に受け取る。だから、タイには譲る側に「怒られるかもしれない」という恥ずかしさが存在しない。この違いも大きいのではないだろうか。
そんなBTS車内の優先席には日本と同じように老人や妊婦、ケガ人もしくは身体が不自由な人、子どもの絵が描かれているが、ひとつだけ決定的に違う人物像もある。僧侶だ。ご存知のようにタイは敬虔な仏教徒が多い。そのため、僧侶はタイ社会において大切で重要な存在だ。だから、優先席に座らせる。これはバスも同じで、やはりドアの横の席は昔から僧侶の優先席であった。
座席上には元々小さく優先席のステッカーがあったが、この機会にデザインが刷新された
僧侶を優先席に座らせる事情はもうひとつある。タイの僧侶は女人禁制という事情だ。たとえ自分の意思でなくとも、僧侶は女性に触れることは許されないので、周囲が配慮して席に座らせるのである。
2019年から優先席ステッカーが大きく貼り出されるようになったBTSだが、あそこまで大きく派手に貼られると、心理的になかなか座りにくくなり、混んでいても優先席だけ空いていることが多くなった。必要な人が来たら譲ればいいだけの話だが、気持ち的に座りにくい。中には老人なのにこの席を避ける人がいるので、正直、逆効果にしか見えないのである。これまで通り、一般タイ人の善意に任せておけば、なんら問題なく回っていたような気がしてならない。
よほど混雑していない場合は優先席が常に空席になっている
<取材・文・写真/高田胤臣>