震災が変えた子どもたち・教職員の意識 福島の教育現場で何が起きたのか

 シニアと若手のコミュニケーションギャップが埋まりません。「最近の若い者は根気がない」「俺たちが若い頃は、生易しいものではなかった」というセリフが語られ続けられています。しかし、教育現場は激変しています。今回はその最先端にいる福島県教育センターの味原研究・研修部長に、本連載「分解スキル反復演習が人生を変える」でお馴染みの山口博氏が迫ります。

震災に襲われた教育現場

味原正美氏と山口博氏

福島県教育センター研究・研修部長・味原正美氏(右)とモチベーションファクター株式会社
代表取締役社長・山口博氏

山口博氏(以下、山口):「数年前から福島県の小・中・高等学校の校長マネジメント講座、教頭マネジメント講座を担当させていただいています。理屈や理論の解説を全く行わない、コアスキルを反復演習するだけのプログラムです。福島県教育センターが、このプログラムをいち早く取り入れること自体、アクティブラーニングを先駆的に推進されている証左のように思います。教育改革に先進的に取り組まれている背景からお聞かせいただけますか」 味原正美氏(以下、味原):「福島県教育施策の骨太の方針である『頑張る学校応援プラン』の主要施策4の中には、『課題先進地であるからこそ、地域に根ざしたふくしま発の未来創造型教育を推進し、持続可能な開発目標などグローバルな視点に立ち,課題解決能力や社会的実践力を育成』することが示されています。課題先進地であるからこそのアクティブラーニングの推進が必要であるとの考えです」 山口:「課題のひとつが震災からの復興ですね。味原さんご自身は、震災の際は、どちらに勤務されていたのですか」 味原:「福島県立相馬東高等学校の教頭として勤務していました。太平洋から4km海側にある学校で、当日は約100名の生徒が部活動で校舎外にいました。入試の合格発表準備をしており、生徒は校舎内立入禁止でした。  津波が学校まで来ることを予測し、生徒を校舎2階に入れ始め、部活ごとに人数確認やけがの確認。その後、教員も含めて3階に移動しました。ラジオによると最初は3mの津波とのことでしたが、10mを超える大津波と予想が変更されたためです。幸いに津波は学校までは到達せず、保護者と連絡をとりながら、教員とともに自宅まで送り届ける対応をしました。管理職は、学校で一夜を明かしました

復興から主体性が生まれた

山口博氏

山口博氏

山口:「震災は、児童・生徒にも、その父母をはじめ、地域社会の人々に、これまでにない衝撃をもたらし、生活も激変しました。復興に取り組む生活が日常化しました。他県にないこの状況は、児童・生徒の教育には、どのようなことをもたらしたのでしょうか」 味原:「震災後、まず行ったことは、生徒の安否確認でした。教師と生徒がともに生きて再度言葉を交わすことができたうれしさが伝わってきました。生きているのは決して当たり前ではありませんでした。  校長が『我慢し、助け合い、しっかりと勉強する』との目標を掲げ4月18日に始業し、20日に入学式を行いました。県立高等学校の中で最も遅い入学式でした。5月には『小高商業高等学校』『小高工業高等学校』の生徒あわせて300名をサテライト校として受け入れ一緒に学校生活を送っていました」 山口:「他校の先生方、生徒のみなさんが合同で取り組まれたのですね」 味原:「当時の生徒会長は便りの中で『それぞれに不安や不満、悩みもあっただろうが、サテライト校の導入がこれだけスムーズに進んだのは……各校の生徒一人一人が大人としての認識を持っていただろうと思う』と書いてくれました。  そこには、校訓である『自律』『共生』『創造』を見事に具現化した生徒たちの姿がありました。その当時はまだ『アクティブラーニング』という言葉はありませんでしたが、まさに『主体的、対話的で深い学び』を実践し、地域に貢献する意識が以前にも増して高まり、生徒たちが実践していたと振り返ることができます」 山口:「私が、校長・教頭マネジメント講座で実施させていただいていることも、まさにアクティブラーニングです。研究・研修部長として、アクティブラーニングをどのように授業に取り入れていらっしゃるのですか」
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「教える」から「学ぶ」への転換
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