「脱サラした直後に、友人が経営する会社の資金繰りが悪化し、『このままだと倒産する』と泣きつかれたんです。彼は憔悴しきっていて、自殺でもされたら困るので、準備していた開業資金を貸したんです。結局、全額踏み倒されてしまいましたけど。仕方なく、開業を一時断念して、物流倉庫の作業員として働き始めたのが僕の派遣デビューでした」
収入は激減し、貯蓄もゼロ。しかし、エリートサラリーマン時代と同じような生活を送っていたため、少しずつ借金がかさんでいき、気づけば300万円を超えるまでに膨れ上がってしまった。
「借金を返しているから現金がないので、足りない生活費はカードのリボ払い。返しても返しても、どんどん借金が膨れ上がっていく悪循環に陥りました。しかし、東京にいると、どうしても付き合いがあるので交際費は出ていく一方です。それを断ち切るために自動車期間工として働くことを決心しました。地方の工場なので知り合いはいない。しかも、契約すると入社祝い金として数十万円がもらえるだけでなく、寮が用意されていて食事も出るので生活費はかからないのが決め手でした」
過去に在籍した商社と同じ財閥系メーカーの工場で……
彼の期間工デビュー先となったのは、皮肉にもかつて勤務していた商社と同じ財閥系列の自動車メーカーだった。
「履歴書を見た派遣会社の人は驚いていましたが、もうプライドなんてないですよ。とりあえず、借金がなくなってきれいな状態になりたい。それだけです」
3か月の期間工勤務で100万円近くを貯めて、山田さんは再び東京に戻ってきた。貯蓄は全額返済に充てたが、まだ200万円ほどの借金は残ったままだ。新たな派遣先を探している間に、むしろ少しずつ借金が増え始めてもいる。山田さんは「現代の蟹工船」と自ら言っていたにも関わらず、残りの借金を清算するため、再び別の自動車メーカーの期間工になることを決めた。
「もう40代なので、働けるところが限られているんですよ。期間工は健康な男だったら誰でも雇ってくれるし、手堅く稼げる。僕にはこれしかないんです」
小林多喜二の『蟹工船』には、こんな一節がある。「彼らはそれ(蟹工船の工員)を何度繰り返しても、出来の悪い子供のように、次の年にはまた平気で同じことをやってのけた」。山田さんが自動車期間工のループから抜け出せる日はやってくるのだろうか。
<文/中野龍>
1980年東京生まれ。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経てフリーランス。通信社で俳優インタビューを担当するほか、ウェブメディア、週刊誌等に寄稿。