まんが/榎本まみ
弁護士・大貫憲介の「モラ夫バスターな日々<45>」
「私、離婚してもいいでしょうか」
奥ゆかしく、上品な50歳代の女性が、私に尋ねた。法律相談に来た女性に、「離婚の許可」を求められることに私も慣れてきた。しかし駆け出しの頃は、本当に驚いた。そしてつい、「いや、それはご自身で決めることでしょう」と返してしまっていた。
すると相談者は、「そうですよね、弁護士さんに聞くべきことではないですね」と言いながら帰って行った。しかし、何か釈然としない、消化不良の何かが残った。当時はそれが何であるか、よくわからなかった。
ツイッターを見ていたら、北欧からの留学生が日本の大学の教室で、トイレの許可を求める大学生を見て驚いたとの投稿があった。
確かに、トイレに許可は要らないだろう。しかし考えてみると、家庭で、学校で、そして会社で、私たちは、支配者あるいは上位者の許可を求めるよう躾けられ、教育されてきた。会社では「
ほうれんそう(報連相)」などと言われ、常に上司の監督下に置かれる。モラ夫は、その組織の論理をそのまま家庭に持ち込み、自らが妻の「上司」となって君臨しようとする。そんなモラ夫につくづく嫌気がさして、離婚したいと思った妻がモラ夫に「離婚の許可」を求める。当然、モラ夫は許可しない。
冒頭の女性に戻ろう。私が「家庭で何か辛いことがあるんですね?」と尋ねると、女性は夫に対する配慮が足りず、家事が不十分で夫に叱られてばかりいることを語り始めた。「怒鳴られるんですか?」と訊くと、小さく頷く。
「怒鳴らなくてもいいのにね」「怒られたり、怒鳴られたりしたら辛くなるよね」と声をかけると、涙が頬を伝っていく。
「あなたの人生だから、あなたが決めていいと思います」「これから辛い人生を送るよりも、離婚して自由になった方がいいと思います」
とそっと背中を押すと、女性は「でも、迷惑はかけられない」と小さな声でつぶやいた。