「渋谷駅前の電車を秋田に移設」に賛否両論―― 一体なぜ?
渋谷駅前のハチ公前広場に置かれたあの「緑の電車」が秋田・大館へと送られることになり、ネット上では「賛否両論」が飛び交っている。
果たしてあの電車は何なのか、そしてなぜ秋田へと運ばれることとなり、そして賛否両論を生む結果となっているのだろうか。
あの「緑の電車」の正体は東急電鉄5000系(2002年に二代目の5000系が登場したことにより、現在は「旧5000系」「初代5000系」と呼ばれる)のトップナンバー・5001号(デハ5001)だ。
東急旧5000系・5001号がデビューしたのは1954年の鉄道の日(10月14日)。当時はまだ終戦から9年。「第五福竜丸事件」や「洞爺丸台風」など痛ましい事件が相次いだ一方で、「ゴジラ」や「日本初の缶ジュース」が生まれたのもこの年であった。
この旧5000系の特徴は何といっても世界の最新技術を導入した新性能電車であったこと。
当時の電車といえば、鉄道模型などと同様にモーターから車輪に直接動力を伝える「吊り掛け駆動方式」を用いた旧性能電車が主流であったが、旧5000系は当時の最新技術であった「直角カルダン駆動方式」を採用。このほかにも電気ブレーキの採用やメンテナンスフリーを目指した機械構造とするなど当時の常識を覆す最新技術を導入し、当時の通勤電車としては画期的な加速度の高さや静寂さを実現した。
また、当時の電車といえば車体一面がリベット(鋲)で覆われ、茶色などの暗い色のものが多かったが、旧5000系は戦前に航空産業によって培われたモノコック構造による「丸みを帯びたデザイン」に、さらに外装も明るい緑色(のちに少し明度が落とされ現在の色調)となり、大いに人々の目を惹いた。
この旧5000系の成功は他の大手私鉄各社にも大きな影響を与えることとなり、日本で本格的な新性能電車時代が幕を明けた。そして、旧5000系はたちまち東横線のシンボル的存在となり、沿線住民から「アマカエル」「青ガエル」などと呼ばれて親しまれた。また、青ガエルが人気となって以降、東急電鉄は電車の車体色を緑色と定め、現在の「ステンレス+赤帯」の車輌が登場するまで永年に亘って「東急の電車=緑色」というのが沿線住民の常識となった。
その後、旧5000系は1959年まで製造が続けられ、高度経済成長期の通勤輸送を支えた。さらに、のちに田園都市線や(旧)新玉川線、大井町線などにも活躍の場を拡大。丸みを帯びた愛嬌のある顔は東急沿線各地でお馴染みとなった。
つまり、あの旧5000系は戦後の東京における「通勤輸送改革の立役者」であり、高度経済成長期にかけての東京の通勤輸送を支える役割を持った電車の記念すべき初号機だったのだ。
東京の戦後復興に貢献した「青ガエル」――「技術の粋」がつぎ込まれた旧5000系
他社にも大きな影響を与えた「アマカエル」
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