タイ全土を震撼させた軍人による銃乱射立てこもり事件。事件の背景に横たわる「タイの暗部」

「射殺」以外に国民感情を抑えられなかった!?

 タイの暗部というか、タイの法律などの限界もこの事件で改めて浮き彫りになったのではないか。というのは、多くの人がこの事件の結末は犯人射殺しかないと見ていたことだ。もちろん、武装していたことや、爆発物もあったとされることから、容疑者も抵抗するためにそうなると読んだ人もいるだろう。しかし、法で裁くには罪が重すぎたと筆者は見ていた。  タイも日本と同じで死刑が存続されている。一方、日本と大きく違うことは、タイは滅多に死刑が執行されないことだ。最後に執行されたのが2018年6月で、その前は2009年のことだ。  タイは保健所でさえ野良犬を殺処分せずに施設で死ぬまで飼うという。敬虔な仏教徒が多い国なので、殺生はしないということもあるかもしれない。しかし、現実的な面にも目を向けると、死刑囚が少ないというのもあるのではないか。  タイは実は恩赦や特赦が多い国で、麻薬事犯以外は減刑が驚くほどに多い。そのため、仮に死刑判決が出ても、多くが恩赦などでどんどん刑期が減っていき、殺人であっても実質的には15年もせずに満期で釈放となってしまう。  現国王になってから恩赦はかなり減ったようではあるが、罪の重さ、国民感情を鑑みると、今回の事件は到底20年でも許されることではないだろう。そうなると、射殺しか選択肢がなかったのではないかと筆者は見ている。

SNSに残された犯人の狂気

 この事件が狂気じみていたのは、いろいろな情報がSNSなどネットで流れていたことだ。その中でも最も恐ろしいのは、容疑者は犯行中にもSNSに投稿し、不平不満や様々な暴言を残していた。中には笑顔で「ああ疲れた。(銃の引き金を指で引く仕草をしながら)こうやっているとね、やっぱ疲れるよ」といった動画投稿も残している。  犠牲者の中には小さな子どもいるという。SNSの情報で不確かだが、逃げ遅れた人の証言には、容疑者が小部屋やトイレに隠れている人をみつけるとドアを銃で撃ち、観念して外に出てきた人を改めて射殺したという。  とはいえ、先にも述べたが、タイでもこの事件は前代未聞の凶悪事件である。タイのために言えば、確かに銃社会ではあるものの、こういった事件はいつも起こっているわけではない。むしろ近年では最大級の事件だし、ひとりの人間が引き起こした事件としては、今までになかったものだ。  しかもこれが軍人となると話がややこしくなる可能性もある。というのは、タイは表向きは違うとはするものの、実質的には軍政である。2006年から続いてきた政治騒乱をまとめる第3者という形で2014年に無血クーデターを起こして今に至る。  タイでは軍事政権と言っても、昔から権力があるのは陸軍だ。その陸軍の兵士がタイ史上最悪の事件を起こした。陸軍出身のプラユット首相もさすがに事件当日中にコラートに現れたものの、報道で流れた首相のコメントに対し、「いつもわけわからないこと言っているんだ、コイツ」といったタイ人の声が散見された。支持率がぐっと下がっている印象だ。  8年も続く小競り合いで疲弊していたタイ人たちは、2014年のクーデターで、軍政とはいえ新しい形のタイになると期待し、一応はおとなしくなった。しかし、その期待もこの事件でついに底を尽きたということになる可能性も持っている。  タイは中国本土からの旅行者が日本より多く、新型コロナウィルスの感染リスクが高いと懸念された。しかし、春節以降、中国政府が団体海外旅行を禁じたため、タイは中国人観光客が激減している。その分、そのほかの国の人に来てもらいたいところではあるが、こんな事件発生だ。泣きっ面に蜂とはまさにこのことではないか。  しかし、タイの名誉のために言っておくと、この事件は本当に特殊なケースであって、そう頻繁に起こるものではない。次々に施設から脱出した人たちを、近隣のバイクタクシーの運転手たちは無料で送迎するというコラート人の優しさを垣間見えるエピソードもある。これからの卒業旅行や春休みシーズンをタイ旅行にしようとしている人もいるかと思うが、あまりネガティブな方向に見ないでほしいと願うばかりだ。 <取材・文・撮影/高田胤臣>
(Twitter ID:@NatureNENEAM) たかだたねおみ●タイ在住のライター。最新刊に『亜細亜熱帯怪談』(高田胤臣著・丸山ゴンザレス監修・晶文社)がある。他に『バンコクアソビ』(イースト・プレス)など
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