同調圧力が強くて、女性が住みづらい国「日本」~『愛国者に気をつけろ!』中村真夕監督に聞く

(C)オンファロスピクチャーズ

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 右も左も分け隔てなく対話を続ける政治活動家、右翼団体一水会元代表の鈴木邦男さん。そんな鈴木さんを追ったドキュメンタリー『愛国者に気をつけろ!』が、ポレポレ東中野にて公開されています。  スクリーンには、雨宮処凛さん(作家・活動家)、蓮池透さん(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会元副代表)、上祐史浩さん(ひかりの輪代表・旧オウム真理教信者)、そしてオウム真理教の実行犯である麻原彰晃元死刑囚の三女である松本麗華さんなど、メインストリームから離れた人たちと対話し続ける鈴木さんの姿がありました。  そんな鈴木さんに2年にわたって密着した中村真夕監督に、定期的に通い続けている福島のことや海外と日本の映画の製作環境の違い、そしてこれからの映画作りなどについてお話を聞きました。

事故や震災の現場にカメラを向けることへの違和感

――東日本大震災の後、福島で取り残された動物の世話を続ける松村直登さんをとらえた『ナオトひとりっきり』(2015)の公開以後も定期的に福島を訪れています。 中村:自分は2011年の東日本大震災の後、すぐに被災地に行ってカメラを向けることはしなかったんですね。2001年の9.11の時にはニューヨークにいたのですが、人の不幸を見世物にするのが嫌だったんです。  9.11のときはニューヨークに住んでいて、たまたま事件が起きる前日に日本に帰っていました。1週間後にすぐにニューヨークに帰ったのですが、ワールドトレードセンターの跡地はまだ煙が上がっているような状態でした。
中村真夕監督

中村真夕監督

 そんな状態にもかかわらず、たくさんの人たちが集まって観光地のようにパシャパシャ音を立てて写真を撮っていたんですね。その光景は人間として受け入れがたいものでした。 ――なるほど。 中村:何かあったら現場に飛び込んで行って、死体があろうがカメラを向ける人もいますが、自分はそういう人間ではありませんでした。  被災地へは震災が起きた2011年のゴールデンウィークにボランティアで岩手県の大槌町に泥かきに行ったきりで。

時間が経つと報道されなくなる

中村:ところが、2年ぐらい経って状況が落ち着いてきた頃、当時はテレビでニュースを扱う番組を制作していましたが、段々と福島が取り上げられなくなっていたことに気が付いたんですね。  その時に、福島県双葉郡富岡町に取り残された動物たちを一人で育てている松村直登さんのことを海外のメディアで知りました。そして、松村さんは日本のメディアでは取り上げられていませんでした。  そこで、松村さんに取材を申し込んでドキュメンタリーを撮ることにしました。それが『ナオトひとりっきり』です。運転免許はNYで取ったきりのペーパードライバーだったのですが、福島への交通機関がなかったので日本で免許を取りなおして6号線をひたすら走りました。 ――大変でしたね。 中村:直登さんは取材に対しては当初懐疑的だったんですね。日本の大手のメディアの記者は自分のところへ来て取材していったけれども結局、世に出ることはなかったそうです。記者は現地で取材をしていましたが、上層部の判断で記事や映像を発表することはできなかったんですね。なので「今回もどうせできないでしょ」と。  ところが、若葉マークを付けて東京から車で通ううちに「大丈夫か?」となって、心を開いて取材に応じてくれるようになりました。 ――良かったですね。 中村:自分がマスコミ報道の仕事をしていて嫌だったのが、事件があるとワーッと行くのですが、落ち着くとサーっと引いてしまうことです。ジャーナリストは、ポイントで行く人、線で行く人という言い方をしますが、自分は線で行くタイプだったんですね。  ニュースディレクターの仕事は振られたいろんなネタを次々にこなしていかないといけないのですが、好きなネタをゆっくりじっくり追いかけたいという気持ちがありました。他人の悲劇を見世物にしたくなかった。もし他人の悲劇を取り上げるのなら、 ちゃんと最後まで追いかけて責任を取らなければという思いがあったんです。取材を受けて下さった方とゆっくりじっくり関係を続けたいんです。  富岡町の夜の森は桜の名所です。なので、その時期に1年に1回は通って定点観測しています。
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ヨーロッパでの歴史教育とは
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