「普通の生活」をしている人には見えていない現実がある
前川:この映画で描いているのは、いわゆる「普通の生活」をしている人からしたら
「見えない」子どもたちなんですよね。僕は霞が関で働くことが多くて、現場と言ったら永田町の国会議事堂といっても過言ではないくらい(笑)、政治家の相手をするのが仕事だったけれど、それが嫌で仕方なくてね。その環境に慣れてしまうと、恐ろしいことに、
「政治家の言うことを聞いていればいいんだ」、「現場なんて見なくていいんだ」、というマインドになってしまう。
前川喜平さん(手前)
ただし、見ようと思えば、見えてくるものもたくさんある。例えば宮城県に出向して教育委員会の運営をする仕事をしていた時、委員でもあった産婦人科医院の女性院長の方が、10代の望まない妊娠がいかに多いかを切実に教えてくれました。
そうやって、「見えない」ものを「見えている」人たちと接する機会はあるわけだけれど、
見ようとする意識・マインドがないと見えてこない。この映画は、それを可視化して、「見えていない」人に対して、見せつけようとしているんです。見えていない、見ようとしていないだけで、確実に存在している人たちを描いているわけなので。
分断された社会の中で、道を外した大人をどう立て直すか
──映画の主人公は子どもたちですが、ギャンブル依存やアルコール中毒など、子どもを取り巻く大人たちが抱える問題も丁寧に描かれていました。こうした大人を救う必要もありますよね。
寺脇:子どもを省みる余裕すら無くなってしまっている大人もいる、ということですよね。前川さんが反旗を翻している
安倍政権は、経済優先・金持ち中心、弱者に関しては自己責任という政策をとっています。この状況でカジノを作るなんてとんでもないことだと思いますよ。ギャンブル中毒になる大人が増え、子どもたちに更なるしわ寄せがいくことになります。
今の社会は完全に分断されてしまっていて、人々が手を取り合おう、助け合おうという気が起きない世の中になってしまっています。この映画から、そうした社会の寒々しさみたいなものを感じ取ってもらえたらいい。そこから、政治や社会のあり方を変えなければならない、という考えに行き着くかもしれませんね。
©子どもたちをよろしく製作運動体
前川:ギャンブル依存にしろ、アルコール依存にしろ、「病気」ですよね。
今の社会では、何か一つ歯車が狂うと、狂ったまま不幸がどんどん大きくなっていくようになってしまっている。それを自己責任と言ってしまっていいのか、というのは甚だ疑問です。どこかで食い止めて、人間らしい生活に戻れるようにする仕組みづくりをしなければいけないと思いますよ。
虐待する親も絶えないわけだけれど、子どもを救い出すことはもちろんのこと、
親をなんとか立て直すというのも大きな課題ですよね。児童相談所がその両方の機能を持っているから、それが難しいというところはあるでしょう。人を大切にするためにもっと税金をかけるべきですね。
※地域での助け合いや政治における女性の力については、近日公開予定の続編をご覧ください。
<取材・文/太田冴>