ここからは、筆者の推測や憶測が多分に含まれることを前提に読み進めて欲しい。
JR東日本の十条駅は、全国でも有数のヘイトスピーチとそのカウンターの「激戦地」である。
なぜなら十条駅から徒歩5分の場所に東京朝鮮中高級学校があり、在日朝鮮・韓国人たちによる様々な文化・スポーツイベントが行われる場所としても多く利用される同校は、近年、北朝鮮の脅威を煽る報道の影響を受けたり、高校無償化法の朝鮮学校への適用に反対したりする人たちのうち、過激な行動に走る輩たちの標的にされている。
東京都は2018年10月、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向け、五輪憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指すとして人権尊重条例を制定したが、具体的な罰則は無い。
駅前のロータリーの一方では朝鮮学校の学生や在日の人たちに口汚いヘイトスピーチを浴びせ続ける行為が頻繁に行われ、その反対側ではそれに対抗するカウンターの人たちがシュプレヒコールをがなり立てる。
双方は警察官に囲まれ衝突こそ起きはしないが、その罵声と怒声の間を朝鮮学校の生徒たちが、先生たちや保護者に守られるようにして通り抜ける。
そんな事が何年間も、何年間も繰り返されてきたし、駅をよく利用する筆者自身も直接目撃している。
そして、十条駅の駅員らもこの光景を見続けてきたはずだ。
一枚のポスターに、それを製作した個々の駅員が、言葉で書いた事以上の思いを込めたかどうかは筆者は知りようがなく、直接聞くつもりもない。
ただ口汚い大人たちの罵詈雑言の中を、小さな体をもっと小さく丸めながら駆け抜けていく子ども達の日常を、出来得る限りの慈しみをもって見守ってくれている駅員がいる。
一枚のポスターが、社会の在り様を雄弁に語っているように思えてならないのだ。
<文/安達夕>