職を転々としてきた就職氷河期世代が「ウーバーイーツユニオン」で自己肯定感を回復するまで

「面白そうな」労働組合――土屋氏はなぜユニオンに参加したのか

 土屋氏がウーバーイーツユニオンに関わりだしたのは、2019年の7月、原付バイクでの配達中に転倒事故を起こしたことに端を発する。そのときに会社から届いたメールは、労働災害の補償を申し出るどころか、今後このような事故にあえばアカウントを停止すると示唆するものだった。「人間扱いされていないと感じた」と土屋氏は語った。怒りを感じた彼はそこで、ちょうど結成に向けて動き出していたウーバーイーツユニオンの設立準備会に参加。そのまま組合の一員として活動している。  だが、事故と会社の非人道的なメールがあったとしても、なぜ彼は組合活動に参加したのだろうか。土屋氏はこれまでも、労働の現場で様々な被害を受けてきた。過酷な労働環境で身体を壊し、パワハラにもあってきた。しかし彼はその都度、環境を変えるのではなく環境から離れることを選択してきたのだ。リーマンショック前後は、「年越し派遣村」など、非正規雇用者の労働が問題として取り上げられ始めていたが、そのときも彼は運動に参加することはなかった。  土屋氏がウーバーイーツユニオンの準備会に参加した直接の契機は、労働問題に詳しいパートナーに勧められたことだったという。パートナーは、事故にあい、自身も負傷したにも関わらず、仕事のほうを優先してしまった彼を諫めたという。したがって、ユニオンの会合に行ったことそれ自体は、すべてが彼の意志だったわけではない。だが、実際に会合に参加してみて、彼はこの集まりは「面白そうだ」と思った。  何が面白そうだったのか。彼に尋ねると、まず第一に、委員長の前葉富雄氏や川上資人弁護士など、多様な個性に触れたことだという。労働組合運動についても、経験者からまったくの未経験者までさまざま。だからこそ、フットワークが軽い運動が可能だともいえる。土屋氏によれば、自分自身がこれまで活動をしてきてこなかった理由に、労働組合に対する古臭いイメージがあったという。集団主義的で、そうした場の一員となることは、土屋氏は苦手であった。  それに対して、ウーバーイーツユニオンは個人主義的な人たちの集まりであるという。ただし、運動の理念はみなそれぞれに共有できているという信頼がある。だからこそ、運動の中では意見がぶつかり合うことを恐れない、活発な議論ができる。土屋氏は、自身が事故にあった直後は、メディアの取材に対しては匿名で、顔出しもしていなかった。しかし現在は、NHKをはじめとするメディアに対して、実名で、積極的に顔を出して発信している。そうした心境の変化は、ユニオンの結束力とそれに伴うエンパワーメントを象徴しているのかもしれない。
土屋さんが書いたプラカード

土屋さんが書いたプラカード

 2019年12月、前月の唐突な報酬体系改定への抗議および、団体交渉申し入れのためにウーバーイーツユニオンは本社への直接行動を行うが、そのときに土屋氏はプラカードを持って行進していた。メディアにも、彼が描いたプラカードの猫の絵が映っていた。美術系の大学を経て、その経歴を活かす仕事にはほとんど就けなかった彼だが、ここにきてその技能が役にたったわけである。  土屋氏がウーバーイーツユニオンと接触したのは、偶然だったかもしれない。しかし、彼がウーバーイーツユニオンに加盟し、積極的に活動や発信をするようになったことは必然であった。筆者は、社会運動の意義を自己実現に矮小化する気は毛頭ない。しかし、社会運動を通して、自分自身を回復する者もいるのは事実だ。  土屋氏はこれまでの人生で様々な職種についてきたが、そうした場所で自己肯定感を獲得できたことは一度もない。つまり、ここにきて初めて、プライベート以外で、信頼しあえる仲間、そして、自分自身を承認可能な場所と出会ったのだ。「1人じゃないよって、われわれがいるよと、話を聞くよということの表明なんです」。彼が記者会見で発した言葉は、彼自身の体験と、密接に繋がっている。

「お前の代わりはいくらでもいる。だから休んでもいいんだよ」氷河期世代とプラットフォームビジネスの未来

 多くのマスメディアや評論家の理解に反して、ウーバーイーツユニオンは、基本的に現在の働き方それ自体は肯定的に捉えている、と土屋氏は語る。実際、ユニオンはけして労働基準法における労働者としての待遇、たとえば最低賃金や有給休暇等を会社に求めているわけではない。個人事業主である配達員を正社員として採用せよと求めているわけでもない。彼らが要求しているのは、かいつまんで言えば、人権を持った存在として自分たちが扱われることだ。当たり前の労災対応を行わなかったり、一方的に報酬を改定したりすることは、ビジネスモデル以前の問題として、本質的な人権に関わる問題なのだ。  土屋氏が考える理想のモデルとしてのプラットフォームビジネスは、(現在の日本における)正社員としての働き方とも違うものだ。彼は以前アルバイトとして働いていた職場で、長時間労働を強いられる正社員の現実も目の当たりにしていた。  氷河期世代の労働者にとって、よく耳にしてきた言葉が「お前の代わりはいくらでもいる」だ。だからこそ、ようやく正社員採用された者は、休めない。劣悪な雇用でも職にしがみつく。しかし、土屋氏は、プラットフォームビジネスのモデルは、その言葉を逆手にとることができるという。すなわち、「お前の代わりはいくらでもいる。だから、つらいとき、休みたいときは休んでいいんだよ」と。それは、うまく運用しさえすれば、正社員として採用されるよりも、魅力的な働き方なのだ。  もちろん筆者は、プラットフォームビジネスの未来が、手放しで幸福なものになるとは考えてはいない。思想史的に考えるならば、人間の尊厳が保障される働き方と、資本主義の本質的な要素であるアンチ・ヒューマニズムの対立は決定的なものであり、容易に乗り越えがたく感じる。スラヴォイ・ジジェクが憂慮するように、プラットフォーマーたるグローバル企業が、個人の自由と多様性という美名のもと、匿名の専制体制を築く可能性もある。  だが、その問題については、とりあえずここでは議論しない。筆者がここで述べたかったのは、「人生再設計第一世代」と政府によって名指しされた人々のうちの一人が、自分自身と再び邂逅するまでの物語だからだ。  そうした個人のライフヒストリーこそが、グローバルな問題を理解するための、ローカルな出発点なのだ。 <取材・文/北守(藤崎剛人)>
ふじさきまさと●非常勤講師&ブロガー。ドイツ思想史/公法学。ブログ:過ぎ去ろうとしない過去 note:hokusyu Twitter ID:@hokusyu82
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