お任せでロスがない分、魚は常に極上のものを用意している。(写真提供:見崎昌宏)
インタビューの中で見崎氏からは何度か和食業界、寿司業界に対して否定的な言葉が見られた。ただ、それはこの世界そのものを否定しているのではなく、業界の旧態依然の風習などがよくないという気持ちの表れだ。
「技術やセンスがある板前の地位をもっと引き上げたいんです。うちの店でそのステージを用意してあげられたらと」
日本の若い世代や海外の人が和食に求めるものが昔とはもう違っている。伝統を守ることは大切ではあるが、それにこだわっていてはいけないのだ。
「和食も寿司も音楽と同じです。時代のニーズに合わせないと衰退してしまいます」
懐石などはコース全体でひとつの姿だが、寿司は1貫で十分完成品になっている。日本の高級な寿司だと、コースを食べ終えるまでに何時間も要することがある。「今の時代、いくら高い店でも寿司はさっと食べて帰るものですよ」と見崎氏。
「バンコクを始め、海外は客と対等になれるというのも飲食店経営者にとってはいい環境です」
細かいところにまで江戸前の仕事がされている
日本だと「お客様は神様」という本来は店側の理論をかざす横柄な客もいる。ただ、「そういった悪い客を育ててしまったのもまた飲食店です」と見崎氏は言う。必要以上に客に媚びるからだ。たとえばバンコクは家電を見ても、安いものは品質が悪く、高いものは高性能というのが常識で、それは飲食店にも当てはまる。だから、客が相応のところに行くため、無駄なストレスがお互いにない。
飲食店の経営、そして寿司職人としての醍醐味を味わえるのが最早日本国内ではなく海外なのかもしれない。海外で自分の生きる場所をみつけた見崎氏は「日本には帰らない」という。彼は日本に見切りをつけ、寿司の世界のいいところをバンコクで後輩たちに継承しようとしている。
タイも同じだが、近年の日本国内における日本文化が見直される風潮はだいたいが海外発な気がする。外国人の目線を借り、日本の長所を日本人が再認識する。そんな動きになっているのではないか。和食や寿司も、こうして見崎氏のような人物が海外で継承し、それが逆輸入されれば、若い人たちが理想とする職場が和食の世界に戻ってくるかもしれない。時間はかかりそうだが、見崎氏がやっていることはそういうことなのではないかと感じた。
<取材・文・撮影/高田胤臣>