「努力してまで恋愛したくない」が令和の恋愛観? <アラサー独女の婚活・恋活市場調査>

結婚と恋愛は「我慢してまで」したいものではなくなった

 私自身、「結婚したい」「恋愛したい」と考えてから、実際にしっかりとした交際相手を得るまでにものすごい時間がかかった。  学生時代までは、自分の身の回りの「縁恋愛」でなんとかなった。バイト先、学校、サークル……住むところや学びたいこと、偏差値が近い人同士の恋愛は、今考えたらそれほど難しくなかった。身の回りに共通の知り合いが多いと、フェードアウトなんてできないので、必然的にしっかりお互いを見つめ合うことになったものだった。  が、社会人になってからはそうではない。もちろん、職場という縁のある出会いもあるが、学校より公私混同しづらい空気もあるし、どことなくみんなの中に「でも、別れたら面倒だし」という先入観があるので、なかなか恋愛には発展しない。平日は忙しく働いて、自由があるのは1週間のうちの2日だけ。友人と遊ぶ頻度も減り、休日のうちの1日は、前日の二日酔いを癒やすためにベッドで過ごしたりしてしまう。それでも、「暇すぎる」と感じづらいのが、恋愛が停滞してしまう一つの要因だ。  Netflixなどのサブスクアプリを開けば、いくらでも好きな音楽や、まだ見たことがない映画を検索して見ることができる。本や漫画もサブスクで読めてしまうし、サブスクを登録していなくても、YouTubeなどを使えば無料で楽しい動画を視聴できてしまう。ネットの普及は、若者たちから「一人は寂しい」という感覚を奪い、「むしろ気楽」という感覚を植え付けた。  面白くない合コンや飲み会にお金を使うくらいなら、一人で動画を見ている方がコスパがいいし楽だ。一人でいても暇を潰せてしまうユビキタスな社会と、毎週、毎月忙しいブラックな社会のおかげで、恋愛は「したいっちゃあ、したい」くらいのなあなあな存在になった。若者に恋人がほしいかを聞くと、たいていみんな「欲しいっていえば、欲しいんだけどね」というような歯切れの悪い回答をする。 「恋人は欲しいけど、仕事は忙しいし、無駄撃ちはあまりしたくない。自分にも理想の相手像はあるし、妥協してまで恋愛したいか、と言われると、そこまででもないような気がしてくる。なんとなく過ごしている中で、運命的な相手が現れるなら頑張りたい」  みんな、そうツラに書いてある。「妥協するくらいなら一人でいい」、それが現代の私たちの恋愛・結婚の感覚なのだ。

それでも私たちが出会いの場に行く理由

 それでも、マッチングアプリの利用者数は年々増えているし、街コンも日々開催され続けている。妥協したくないといいながら、私たちは根本の欲求に抗えないのだ。  仕事終わりに疲れた体を、ぎゅっと抱きしめて欲しい。  美人や美女と、セックスがしたい。  そんな1次的・2次的な欲求に負けて、我々はふんわりと出会いに課金する。結婚相談所のような場所に、ガッツリの課金してまでしたいものではない。だから、年々出会いの場はコストパフォーマンスが良くなってきている。マッチングアプリなら月1万円程度の課金で済むし、それすらもったいない人は相席タイプのスタンディングバーに行って、都度数千円で飲んでは異性に声をかける。  結局私たちが、根本から恋愛を諦めるのは難しいのだ。そうして、愛が足らない人々は、面倒に感じながらも出会いの場に出向く。本連載は、筆者がそんな「ガチじゃない」恋愛・婚活市場で見たものを考察していく。足とカネを使って見た令和の恋愛のリアル、とくとご覧あれ。 三九二汐莉 <文/ミクニシオリ>
1992年生まれ・フリーライター。ファッション誌編集に携ったのち、2017年からライター・編集として独立。週刊誌やWEBメディアに恋愛考察記事を寄稿しながら、一般人取材も多く行うノンフィクションライター。ナイトワークや貧困に関する取材も多く行っている。自身のSNSでは恋愛・性愛に関するカウンセリングも行う。
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