安全地帯を抜け出して撮る~西成を描いた映画『解放区』太田信吾監督 <映画を通して「社会」を切り取る3>

© 2019「解放区」上映委員会

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 日本最大のドヤ街と言われる大阪・西成区の飛田新地やあいりんセンター、三角公園などでロケを敢行、そこに息づく人々の姿を描いた『解放区』。今年10月のテアトル新宿での上映を皮切りに各地で上映され、話題となっています。  太田信吾監督は、当初大阪市に助成を受ける形で制作をスタートさせるも完成後に映画の内容が相応しくないと修正指示を受け、これを拒否。助成金を返還し、完成から5年の歳月を経て完全な自主映画として公開され、年明けからも地方各地で上映されます。そんな太田監督に『解放区』制作に至るまでの経緯、そして、ドキュメンタリーに寄せる思いなどについてお話を聞きました。

チームプレーが好きだった

――中高生時代はどのように過ごしていましたか? 太田:生まれてから父親の仕事の都合で埼玉に引っ越すまで約10年を長野県千曲市で過ごしました。習い事でピアノを弾く傍ら、中学時代は陸上部、高校時代はサッカー部に所属しながらバンドもやっていました。チームで何かをしたり、場を作ることがしたかったんですね。映画を見るのも好きで、高校生の時に河瀨直美監督の『萌の朱雀』(1997)に衝撃を受けて自分も映画を作ろうと考えるようになりました。 ――大学時代は最初から映画を撮りたいと思っていたのでしょうか。 太田:思っていました。なので、ドキュメンタリーに興味があって、最初は映画サークルに入ったのですが、あまりにも人数が多く話の合う人と出会えなかったこともあってすぐに辞めました。  その頃ちょうど、家族の縁があった長野県の天龍村の過疎化が進んでいるということを聞いて、アートで村を盛り上げようと大学1年生の時からアートサークルを主宰しました。新潟の越後妻有(えちごつまり)にそうした試みがあることを知って、自分でもやってみたいと思ったのです。  行政とコラボレーションして、絵画や演劇、写真や建築に取り組んでいる学生たちを長野県の天龍村に集めてひと夏を過ごしていました。天龍村名産のていざなすのパッケージをデザインしたり、学童保育で子供たちと演劇をしたりしていました。
太田信吾監督

太田信吾監督

 ――最初に映画を撮影したのは? 太田:父と娘の近親相姦を題材にした映画でした。4年生の時に撮ったのですが、演出も十分にできず、つまらなくてお蔵入りにしています。 ――その後、「卒業」(2009)でイメージフォーラムフェスティバル優秀賞・観客賞を受賞しています。 太田:処女作の自主映画があまりにつまらないと感じてしまって。それまで全てをかけて打ち込んできたものが一気に崩れた気がしてショックで引きこもりました。1年半ほど全く学校にも行かず、本も読まず、映画も見ずにぶらぶらして留年もしました。「卒業」はもう一度リセットしてゼロから映画をはじめてみようと、たった一人で製作した、引きこもりから自分が立ち直るセルフドキュメンタリーです。 ――この作品には自ら出演しています。 太田:「卒業」の前のお蔵入りにしている処女作の失敗は、ディテールを描けなかったことと、自分の頭の中だけで作ってしまい、知らないことを知った風に描いてしまったことだと思いました。自分の計算を崩して、撮れないものを撮ることが大事であるにもかかわらず、そこを撮れなかったという歯痒さがあったんですね。  そうした反省もあって、「卒業」はカメラマンに委ねて絵コンテ通りかっちり撮るのではなく、自分の視点で撮るために、セルフドキュメンタリーにしました。会話をするように、存在が揺らいでいくような映像を撮ろうと。

引きこもりからの卒業の果てに

――俳優としても活躍していますね。 太田: 引きこもりから脱して大学に復帰した時、哲学を専攻していたのですが、演劇の講座を取りました。演出家の平田オリザさん、宮沢章夫さん、松井周さんなどが担当する授業だったのですが、それが面白かったんですね。全く人としゃべらない日々が続いていたので、久しぶりに人と話したこともあったのかもしれません。 ――そうかもしれないですね。 太田:「卒業」はセルフドキュメンタリーですが、撮影中には演技をしているようなところもあったのですが、この時に友達に「演技もしてみたら?」と言われたこともありました。  無事単位が取れて卒業できることになったのですが、岡田利規さん率いる演劇ユニット「チェルフィッシュ」の「三月の5日間」の香港公演にあたり、オーディションがあったので受けてみたら通ったんですね。その時に就職より映画や演劇の世界で生きて行こうと決めました。香港で経験した初舞台は大学を卒業した次の日でした。 ――岡田さんは細かく演技指導するのでしょうか。 太田:岡田さんは想像を持つことが動きやセリフに先行するという考えなので、どんな想像を持つかということについてはきちんと話し合います。動きやセリフの言い方など細かな演技指導はありませんが、逆に、コンセプトについての理解やイメージがない状態で演技することを嫌がるように思いますね。そういう演出家はあまり出会ったことがなくて面白いです。
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被写体の死を越えて
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