フライブルクの事例については、いくつか語らなければならないポイントがある。ひとつは、
フライブルク市に対するメール作戦を主に行ったのは、日本の右派系女性市民団体「なでしこアクション」だということだ。同団体は、国内外で「平和の少女像」を設置する計画がなされている情報をつかむと、それを共有し、組織的な抗議活動を行っている。このように、「歴史戦」は、日本政府単独で行っているのではなく、こうした右派の草の根運動との連携プレーだということは知っておく必要がある。
さらに、フライブルクの少女像設置を決定的に断念させた松山市の抗議である。姉妹都市の解消を脅迫材料にするという点では、アメリカの
サンフランシスコ市に対する大阪市の事例を思い起こさせる。サンフランシスコ市が「平和の少女像」を設置したことをうけて、大阪市は2018年に同市との姉妹都市を解消している。
また、興味深いのは、松山市が抗議をする際、公式な代理人として派遣されたというD氏なる人物である。現地報道で出た名前を検索してみたところ、D氏は
松山市の職員でも、歴史の専門家でも、政治活動家でもなく、単に松山市の支援を受けてドイツに渡り、地元サッカーチームに長年在籍していた人物らしいのだ。
確かに、在留邦人が決して多くはないドイツでは、アメリカのように積極的に「歴史戦」に関わる邦人活動家を見つけることは難しいだろう。だからといって、経歴からいえばおよそ歴史認識とは無縁の生活を送ってきたような人物を、松山市にゆかりがあるからといって、このような件に駆り出してよいものだろうか。その他の事例ではこうしたことは無いようだが、もしフライブルクの件が前例になってしまうと、たまたまその地域に在留しているというだけで、いつ誰が、国や地方自治体から「歴史戦」のエージェントになることを要請されるか分からなくなる。特に、それが奨学金をもらっている留学生だとしたら……?もしかすると、留学申請書の社会貢献欄に「歴史戦」を書かねばならぬ日が来るかもしれない。
ところで、フライブルクのように圧力に屈した事例はあるものの、今のところ
日本の「歴史戦」は、ドイツにおいては受け入れられているとは言い難い。2019年8月13日付の『
南ドイツ新聞』では、これを「
日本の条件反射」と呼んでいる。「日韓関係の歴史問題は決着済みである。像の設置は日独関係に害をもたらす……云々」尊大に、しかも政治問題としてしか少女像をみない日本側の主張について、戦時性暴力問題、女性の人権問題として日本軍「慰安婦」問題をとらえる企画者たちは、
理解を示すよりもむしろ困惑している。
また、
一方的に通達し、言い分を聞かないその姿勢は、怒りさえもたらしている。フライブルクで断念された少女像は、2017年、ヴィーゼントという町の公園(私有地)に設置された(もちろん、日本政府は性懲りもなく抗議した)。LWL産業博物館の展示が巡回展になったのも、
日本側の抗議に主催者たちが腹をたてたからである。
しかし、現地で日本の主張が理解されず、「歴史戦」を跳ね返す動きが存在するからといって、現状を楽観視はできない。右派団体はともかく、
日本政府は執拗な抗議をすることによって日本軍「慰安婦」問題を「面倒くさい問題」にしてしまえば、とりあえずは勝利なのだ。
本来、このような
恥ずべき「歴史戦」が国家によって行われていること自体が間違っているのではないだろうか。繰り返すが、日本軍「慰安婦」問題は
戦時性暴力の問題であり、人権の問題なのだ。日本は過ちを認め謝罪を繰り返してきたという多くの日本人の自己認識に反して、日本政府は、日本軍「慰安所」設置それ自体の「法的」責任は、一度たりとも認めていない。しぶしぶ責任を認めたとしても、それは「道義的」に被害者に配慮したというスタンスであり、
被害者の求めている制度それ自体に対する「法的」な責任ではないのだ。
私たちは、日本政府が日本軍「慰安婦」制度について「法的責任」を認める新たな合意を被害者と結ぶよう、圧力をかけ、その歴史の記憶と継承を促していく必要がある。それが、日本がドイツだけでなく世界で行っている恥ずべき振る舞いをやめさせる唯一の道なのだ。
<文/北守(藤崎剛人)>