「寿司は魚と米を握るだけ」と見崎氏は言うが、長年の経験があるからこそ謙遜できる。(写真提供:見崎昌宏氏)
「和食の板前は寿司職人をバカにする傾向にあります。和食の方が料理の種類も多いので技術が必要になりますからね。ところが、板前は結局裏方でしかないんです。生産者ではあるけど、営業はできない。外を知らない人ばかりです」
見崎氏はインドに2年、その後上海に1年、インドネシアに1年と海外を渡り歩いてきた。海外の飲食店でよくあることだが、ある程度技術を吸収したら、安い労働力である現地料理人が主体となり、日本人調理師はお払い箱となる。見崎氏もそういった悔しさを経験した。
ただ、海外を見てきたことで、調理場に籠もっていてはわからなかったことも見崎氏は学べた。そのひとつが寿司だった。
「
寿司は破壊力が違います。ああ、今晩は懐石が食べたいって日本人でも言いませんよね。今日は寿司に行こうというのはあります。それくらい
寿司には説得力があるんです」
インドネシアを去ってすぐ、友人でもある寿司職人、
佐藤博之氏が独立して銀座に店を開いた。人が足りないということで、見崎氏はおよそ半年ほど手伝い、銀座の寿司の世界を垣間見た。新進気鋭のこの店が開業から半年以内にミシュランの星を獲得する。そこで見崎氏は寿司の説得力を改めて確信。また、佐藤氏の10席しか設けない小規模店の経営スタイルにも感銘を受けた。
「お任せのみで提供していました。お客さんが選ぶ自由がなくなる一方で、店側としてはロスがなくなるので、いいネタを出せます。結果的に顧客満足度も高くなり、リピーターになってくれます」
当時単価3万円レベルであったが、佐藤氏の店はいつも満席だった。見崎氏は寿司のノウハウを学びながら、自分の店を持ったときの経営スタイルは「これだ!」と決めた。
インド、上海、インドネシアを経て、見崎氏がついにたどり着いたのが
タイのバンコクだった。バンコクでの開業からの奮闘は近日公開の後編にて。
<取材・文・撮影/高田胤臣>