数学教育の専門家が見た、大学共通テスト「記述式以外」の問題点<短期連載:狙われた大学入試―大学入学共通テストの問題点―>
共通テストの問題点としては、数学と国語の記述式が大きく取り上げられていますが、これ以外にも問題点として取り上げられているものがあります。今度は、それをこれまでの経緯を踏まえて共有していきたいと思います。
共通テストの試行調査の問題を見て多くの人の目に留まるのは、「長い問題文」の存在です。数学の場合、太郎と花子の会話が「数学I・数学A」「数学II・数学B」の両方に含まれます。数学以外にも、太郎と花子ではないのですが、「世界史B」「地理B」「現代社会」「倫理」「政治・経済」「物理基礎」「生物基礎」「生物」に会話文が含まれます。これらは、数学の場合であれば、「日常生活や社会問題を数理的にとらえること」が文科省の資料の中で目標に掲げられており、それに沿ったものということになります。
どこが批判の対象になるかというと、問題文が長い割に中身がないということです。例えば「数学I・数学A」の記述式の第2問では問題文は1ページわたって書かれていますが、これをこれまでの出題のように問題を書き換えると次のようになります。
”右の図のx、yに対し、x≧26かつy≦18となるようなxの範囲を33◦の三角比を用いて表せ。”(※「右の図」は、下図を参照。なお配信先によっては図が表示されない場合もございますので、その場合はHBOL本体サイトで御覧ください)
では、なぜこのような状況になったのでしょうか? 私の専門は数学と数学教育ですので、数学の試験に関する部分を今から30年前くらいから簡潔に説明しましょう。それを知った上で批判する方は批判するとよいと思います。
1990年代前半に作家の曽野綾子さんが、
「二次方程式を解かなくても生きてこられた」
「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」
と言った発言をされました。一作家が意見を言うのは自由ですし、彼女に限らず、人の考え方を押さえつけてはいけません。しかし、彼女の夫である作家の三浦朱門さんが、当時教育課程審議会会長に就いており、彼が教育課程審議会で二次方程式の解の公式の削除を主張し、なんと中学の数学から一時期解の公式は消えてしまいました。なお、お二人とも数学は専門外です。
これは、当時も今も抱えるこの国の問題点ですが、それは次のようなものです。
専門外で発信力のある人が、その分野の経験が未熟でありながらも自分が正しいと強硬に意見を発信すれば、それがあたかも妥当な意見であるかのように報道され、それによってこの国の政策が決定されることにこの国の教育の弱点がある。
さて、この二次方程式の解の公式が削除された件は多くの数学者、数学教育に携わる方々に影響を与え、「数学は実生活でも必要だということを理解してもらわなければ数学を学習することに理解が得られない」と考えるようになりました。このころから、文科省の学習指導要領の数学の中に「数学のよさ」という言葉が現れ、次第に「数学のよさを理解してもらう」ことを意識するようになります。これは、私の推測ですが、当時から「数学のよさ」をアピールしないと、文科省はいろいろなところからバッシングを受けたか受けると考えたのだと思います。
「数学のよさ」を強調する流れを受け、2003年からの学習指導要領では新科目「数学基礎」が設置され、2012年からの現行課程では、「数学活用」という科目が設定されました。「数学活用」とは、数学がいかに日常生活で役に立っているかを学習する科目です。この流れは今現在も増幅し、次の新課程では、一時期「数学活用I」「数学活用II」のように2科目にしようという案もありましたが、その案では、結局ほとんどの高校では選択しないだろうと考え、次期指導要領では「数学A」「数学B」「数学C」の中に1単元ずつ組み込まれることになりました。現在の高校数学はこのような流れの中にあります。
長い問題文
声がでかい「門外漢」の意見が通ってしまうおかしさ
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