”毒親”に悩み続けるOL。子供の死より自分を優先した母 

県内のお嬢様学校に進学 違和感に気付いた大学時代

 高校卒業までの18年間、海東さんは親に対して一切の違和感を持たなかった。初めておかしいと思ったのは、大学2年生のとき。  通っていた大学の国内留学制度を利用し、京都にある同志社女子大学にて1年間学んだ。愛知県から京都府まで通うことは難しいため、府内で下宿生活をスタート。口座には30万円を割らないように、両親がこまめにお金を入れてくれたため、バイトの必要もなかった。下宿生活をしているうちに、1人の男友達ができた。 「彼はうつ病を患っていて、彼の現状を見て、精神の不調を抱えている人って普通にいるもんなんだなって知ったんですよ。世界の多様性を学んだ。その目で実家を見たら、あれ、これはもしかして……?と感じました」  京都での学びを終え、愛知県に戻ってきた大学3年生時。海東さんは、ピンク系の明るくて可愛い車を買い与えてもらったそうだ。自分が希望した訳ではない。両親が勝手に買ってきた。小さい頃から、両親の価値観のみで作られた”良い”タイミングで、家具や衣類を買ってきたことが多々あったと話す。

就職を機に東京へ いまは親から連絡はくるの?

 海東さんは就職活動をキッカケに、上京することを決意。だが、両親は、地元で就職するものだと思っていた。父親は親戚に「実家に帰ってくるものだと思っていた」とこぼし、母親も「この子東京に行くっていうんですよ。どう思います?」と話していたとのこと。車は、娘が実家に帰ってくることを想定して買っていたという。勿論、海東さんに事前の”今後についてのヒアリング”はなかった。 「親は地元の企業に就職するもんだと思ってましたね。それも、大学が紹介してる求人で就職するもんだと思ってました。だから、うちの父親はマイナビやリクナビをすごく警戒してて。企業に個人情報なんて渡すもんじゃないって。エントリー時点でいくじゃないですか?  そんなんじゃ就活できんよ!って。全くの悪意なく、とんでもないことを言うんですよ。マイナビ・リクナビ使わないなんてありえないじゃないですか、何考えてんの!?って」  海東さんに就職先を東京にした理由を聞いてみると、憧れだったとのこと。大都市に出てみたいといった願望はもともとあり、名古屋、東京、関西で絞っていたそう。東京が一番、街の規模が大きいと気づき、東京へ行くことを決めた。  海東さんは現在、上京して4年目。最後に、両親の反対を押し切って出てきたため、今の関係性と連絡の頻度を聞いてみた。 「上京して3年間、全く連絡を取っていなかったです。実家にある荷物を取りに帰ったときに会ったら、驚いたようでした。私が実家を嫌っていたことに初めて気が付いて、振る舞いを見直したらしく、物腰は慎重になっていました。連絡を全く取らなかったことで、こんな変化を受けるのかと自分もびっくりで。でも今も大変ですよ、付き合っていくのは。だって自分にとっては、辛いエピソードですし、思い出してしまうから」  また、母親が必要最低限しか外出したがらなかったため、、家族で出かけることがなかったという。虐待ほど過酷ではなくとも、エキセントリックな両親に過保護に育てられれば、後の人生に尾を引きかねない。海東さんは現在もカウンセリングを受けて、親との関係について相談しているという。 <取材・文/板垣聡旨>
ジャーナリスト。ミレニアル世代の社会問題に興味がある。ネットメディアを中心に、記事の寄稿・取材協力を行っている。
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