筆者の開発末期、RTS『キングオブアース』
iモードの新規申し込み受付が、2019年9月30日に終了した(参照:
NTTドコモ)。iモードは1999年1月25日に発表され、同年2月にサービスが開始した(参照:
東京新聞 、
e-Words)。そして、2016年の11月から12月にかけて出荷を終了した(参照:
NTTドコモ)。
2016年の時点で実質的に終了していたとも言える。しかし今回の受付終了で、新規の加入ができなくなった。サービス自体は引き続き利用できるようだが、登場から20年ということで、ひとつの節目を迎えたと言えるだろう。
さて、iモードには、iアプリというアプリケーションを実行できる環境があった(参照:
NTTドコモ)。2001年発売の「
503i」シリーズから登場したiアプリは、iモード上で動く Java アプリケーションだ。同業他社である au には EZアプリ、SoftBank には S!アプリがあった。この時期、携帯電話上で動くアプリケーションの世界があったのだ。そして、これらの端末上でだけ動く、コンピューターゲームの世界が存在した。
私は、このiアプリの開発をおこなっていた。当時の貧弱な端末で、シミュレーションRPGや、RTS(リアルタイムストラテジー)を作っていた。家庭用ゲーム機の世界とは違い、こうした携帯電話向けのゲームは、レトロゲームのブームにはのらず、振り返られることもないだろう。そもそもこれからの時代、新たに遊ぶことができないものだ。
歴史の中に消えていくゲーム文化。その開発側に私はいた。当時、部屋にこもって、一人でコツコツとプログラムを書いていた。
私が参戦したのは2003年の4月。2002年5月21日に出た「
504i」と、2003年5月に出た「
505i」の、ちょうど移行期だ。
「504i」は、縦横120ドットという小さな画面だった。「505i」は、縦横240ドットという、2倍にはなったがそれでも小さな画面だった。
iアプリという、消えようとしている実行環境。その開発側にいた人間として、顧みられることのない歴史を、私自身の経験を語ることで振り返ってみようと思う。
筆者が開発に参入して、初めて作ったシミュレーションRPG『Princess Forces 魔王の復活』
私は、2002年4月26日に起業した。最初の1年間は、ボードゲームやカードゲームを作っていた。そして1年が経ち、そこそこ売れはしたが、印刷し過ぎたせいで、大量の在庫をアパートの部屋に抱え込んでいた。
物理的なものを作ると、倉庫がないと辛い。当たり前のことだが、起業した直後の私は気付いていなかった。実家が商売をやっていて、在庫管理を目の前で見ていたのに。
「これは困ったな」というのが、2003年3月の私の率直な感想だった。
そんな折、2003年の3月29日に「
わりと若手プログラマーの会」という集まりに誘われて、顔を出した。
私は『めもりーくりーなー』というソフトで、財団法人インタ-ネット協会の、「
オンラインソフトウェア大賞2001」というのに入賞していた。また、2002年9月から「
窓の杜」で『
めも理と窓太のパソコン講座』という記事とマンガを連載していた。
「わりと若手プログラマーの会」というのは、「オンラインソフトウェア大賞」と「窓の杜」関係の人が集まるらしく、その日初めて参加した。
その集まりで、iモードの公式サイトを運営している会社の人が「RPGを作れる人はいないか?」と周囲に尋ねていた。その会社では「RPG大集合!」というサイトを運営しており、開発ができる人を集めていた。
私は手を挙げて「シミュレーションRPGなら作る」と答えた。RPGは、何となくデバッグが大変そうだと思った。シミュレーションRPGなら、基本システムを作れば、あとはマップを変えるだけだからデバッグが簡単だ。何より私は、学生時代、延々とシミュレーションRPGやウォーシミュレーションゲームをやっていた。
ちなみに私はその時、シミュレーションRPGを開発したことはなかった。iアプリの開発経験もなかった。携帯電話すら持っていなかった。さらに商業向けゲームのプログラムを書いたこともなかった。そもそも前職ではプログラマーではなかった。
ただ、コミケでいくつかJavaでゲームを作った経験があったので「何となくできるだろう」と思い、手を挙げた。もっと言うと、ボードゲームの仕事が食えそうもないと分かってきたので、何か新しいビジネスを必要としていた。
IT系の仕事は、ともかく動きが速い。待つのが嫌いな私には相性がいい。9日後の4月8日に、その会社を訪問して、帰りがけにiモード端末を買った。そして4月11日にゲームの企画書を送り、4月15日に開発環境を構築してゲームの開発を始めた。